戦国時代、ここには志賀城というお城があり、笠原新三郎清繁という城主がいて、佐久に攻め寄せてきた信玄に抵抗していました。
ここから北の方にある小田井原で、笠原新三郎の味方だった小笠原氏の軍を打ち破った武田軍は三千の首級をあげ、その首を志賀城の周りに並べて城方に見せつけたというのだから恐ろしいですね。
それらの首を見てすっかり士気を喪失した志賀城は落城してしまい、城主の笠原清繁は切腹、その首はすぐ近くに埋められました。
ここがその首塚。
田んぼの中に大切に保存されています。

何年か前、大河ドラマ 「風林火山」 ブームの時も、佐久はあまり大騒ぎしなかったと思うんですよ。
この頃の恨みのせいなのかもしれないですね。
ここは笠原清繁が開基の 「雲興寺」
このすぐ裏山が志賀城跡。

1度登ろうとしたのですが、岩が露出しかなり急で、高所恐怖症の私にはとっても無理

ブラブラ歩いていると、こんなバス停が。
ところが、どこを見回してもポストは無い。
きっと昔はここにあったんだろうな。

志賀の街道はこんな感じに東西に延びています。
街道筋の雰囲気って、独特で好きだなぁ。

そろそろ帰ろうと志賀学校跡に向かうと、こんなレトロな建物が。
後で調べると、旧郵便局だったようです。

これで、志賀の旅は終わりです。
ご覧いただき、有難うございました。

おまけ
豪奢に咲いた我が家の牡丹です。

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2012/05/16(水) | 佐久 | トラックバック(0) | コメント(8)


















と思ったら、なんと増えているではありませんか!!














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