本・音楽・ペット・合唱・その他色々、書いていこうと思っています♪

「佐久市跡部の踊り念仏」 めでたく1万回再生を果たしました!!

佐久市跡部の西方寺で行われている 「踊り念仏」

2011年4月の第一日曜日に取材 (笑) に行ってアップした動画が、本日めでたく1万回再生を果たしました。

いやぁ、嬉しい嬉しい 

(踊り念仏)

初めてアップしたのが、2011年の4月5日。
この動画が、私が初めてyoutubeにアップしたものなんですよ。

その後、2011年12月14日に 1000回
2013年1月8日に 4000回
そして今日、10000回達成という訳です。

遠い鎌倉時代から、佐久で連綿と受け継がれて来た踊り念仏。
跡部地区のみなさま、これからも次世代へと受け継いで行って下さいませ。





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今日は佐久では墓参り

8月1日
この日は佐久では 「お墓参りの日」 なのだ。

だから会社も休みが多い。
仕事どころではない、お墓参りなのだから。
スーパーでも、この日に合わせてお供え用の落雁とか御餅などもいっぱい並んでいた。

起源については、私は 「戌の満水」 説を採りたい。
それについては以前書いたことがあるので (こちら)をご覧下さい。

ただ、これは定説というわけではなく、農作業が忙しくなる前にお墓参りをしておく、という説もあるそうだ。

8月1日にお墓参りをするのなら、お盆には何もしないのかと思ったら、そうではないとのこと。
お盆はお盆で、ちゃんとお墓参りをするらしい。

そうなると、やはり8月1日でなくてはならない理由があると思う。
ちょうど 「戌の満水当日」 ということは、関連があるのではないだろうか。

という訳で、今日は家族の会社も墓参り休み。
週の半ばの水曜日。
ゆっくりと過ごさせていただきました。

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踊り念仏

弘安2年(1279)に当地 (佐久市)に伝わった時宗一遍上人の流れをくむ 「踊り念仏」 が、佐久市跡部の西方寺で行われたので行ってきました。私が行くのは実は3回目です。

今から732年前、一遍上人は善光寺に参詣した帰途、佐久郡跡部伴野庄で歳末念仏をおこない、その後近くの武士の館で一遍が音頭をとり、裸足で跳ね踊ったのが踊り念仏の最初と伝えられている。(佐久市教育委員会のパンフレットより)

ここ西方寺に伝わる踊り念仏は、古風を伝えていると言われ、国重要無形民俗文化財に指定されています。

中学校の歴史の授業で教わった時宗の踊り念仏。
今でも時宗は続いているけれど、踊り念仏はどうなったのか疑問に思っていました。
果たして今でもお坊さんは踊るのか! と非常に興味があったのです。

数年前こちらに来た時、パンフレットに 「踊り念仏」 の記事を見つけた時には驚きました。まさかここ佐久に本当に伝わっているとは。

ここにUPした動画は、今年の4月3日に西方寺で行われた 「跡部の踊り念仏」 を私が撮影したものです。
何しろ慣れないもので上手く撮れていませんが、初めて youtube にアップロードしてみました。

地区の方達の努力で今まで伝わってきた貴重なものです。静かに始まり段々激しい動きになってきます。昔はトランス状態になって踊ったのではないでしょうか。拝観料をとるわけでもなく、終わると手作りの知恵団子までいただける 「跡部の踊り念仏」。 その熱意には頭が下がります。ちょっと長いのですが、どうぞご覧になってみて下さい。
毎年4月の第一日曜日に行われます。






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虫歯に利く白山様

前にブログ 「佐久口碑伝説集」 で書いた 「虫歯に利く白山様」 の場所が分かった。

*白山様の由来

昔、一人の六部が虫歯で苦しんでいたが、耐えられなくなった。世間には沢山虫歯で悩む者があるだろう。そうした苦難を救おうと考え、自分が犠牲になって生き埋めにしてもらおうと里人に頼んだ。
穴に竹を差し込み、鈴を持って入った。鈴の音が聞こえる間は命があると言って、生き埋めにしてもらった。里人が竹に耳をつけると、鈴の音がかすかに幾日も聞こえたという。
今は赤松の根元に祠が建てられ、石の仏像が安置されている。



ここがどこなのか興味があったのだが、それが分かったのだ。

まだ新しい鳥居がある。
鳥居


これが白山様。 頬が赤く塗られているのは、虫歯の神様に共通と思われる。台座は新しくしたようだ。
白山さま

塚の裏側には、色々な祠やお墓らしきものも建っていた。
白山様の裏


何しろ、生きながら埋められたというから、「生き仏様」と言われているようだ。
こちらも物見遊山では行けない。 色々考えたが、白山神社かと思ってお榊を持って訪れた。良く考えると、六部でもあり仏像なのだから、お線香とかお花の方が良かったのだろう。

誰かがコーヒーの缶をお供えしていたのを見て、大事に守られているのだと感じた。今度はお酒をお供えしてみよう。

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佐久口碑伝説集 北佐久編

いっそ買ってしまおうかと思っている。 「佐久口碑伝説集 北佐久編」

ググってみると、ちゃんとありました。
日本の古本屋で3千円也。 高いと言えば高いけど、この本、もう5回は借りているのに、まだまだ読み切れていない.

相当厚い本で、内容もぎっしり詰まっている。 題名通り北佐久地方の口承伝説などを聞き書きしたもので、中にはすぐ近くの神社や祠や祭りや伝説も書いてあって、とても面白い。

例えばこんな話
○ 虫歯に効く白山様
ある所に虫歯で苦しんでいた六部がいた。痛さに耐えられなくなった六部は、自分の様に世間には虫歯で苦しんでいる者が沢山いるだろう。その人たちの苦難を救うため犠牲になろうと、生き埋めにしてもらう事を里人に頼んだ。(塚に開けた)穴に竹を差し込み、中から鈴の音が聞こえる間は命があるのだ、と言って埋めてもらった。
鈴の音はかすかに何日も聞こえたという。今は松の根元に祠が建てられ、石の仏像が安置されている。


これは、噂に聞く即身成仏と同じではないか。 それに昔は虫歯とは死に直結した、死にたくなるほどの辛い病だったことになる。 そしてこの塚の中に、六部の遺体が未だに存在することになるのだ。この塚とは一体どこにあるのだろう? この場所の近くに住んでいる知り合いに聞いたが、全く知らなかった。 もっとその辺りを歩き回って、土地の人に話を聞かなければ、と思いつつなかなか実行に移せない。

こういうのは民俗学の領域だろう。
学生時代に民俗学の必修授業があり、先生は北海道出身の私に 「田舎に帰ったら近所の農家を訪ね、鎌の写真を撮って来るように」 と宿題を出した。

鎌の写真??  私はそれが何の役に立つのかさっぱり理解できないまま、本当に仕方なくトボトボ歩いて農家を探し、鎌の写真を撮らせてもらった。
相手の農家の人も、何なんだ?と思ったに違いない。

結局私は、それが民俗学に1番大事な ”フィールドワーク” の一環である事も分からず、適当に単位をとって民俗学に別れを告げたのだ。 あの時、もう少し興味を持って勉強していたら、今もっともっと色々な情報を手に入れるノウハウを身につけられたのに。

佐久はいたる所に祠があり、神社があり、古墳もあり、伝統芸能もお祭りもあって、本当に興味深い事がいっぱい。なるべく色々な所を探検し、人に話を聞いて、せっかく自分に恵まれた佐久の生活を楽しみたいものだ。


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長野県 佐久の風習 2.

・葬儀の習慣 (灰寄せ)

昨年、初めてこちらでの葬儀に参列した。
個人的な参列ではなく、とある団体の代表としての参列だったが、一緒に行った方の話を伺うと、色々それまでの私の常識とは違っていて驚いた。


まず、個人で参列する時、お香典は千円か1万円に決まっているとの事。
故人と一般的な付き合いの人は千円を包み、その人達はお焼香が終わったら、すぐに退出する。
故人と特に親しかった人は1万円を包み、式場の席に座って最後の儀式まで残る。
それを 「灰寄せ」 という。
「灰寄せの席」 とは、葬儀が終わった後で、飲食する時の席のことだとの事。

但し、1万円を包む人、つまり 「灰寄せ」 までいる人は、遺族から前もって知らされていて,それ以外の人はお焼香より後は参列してはいけない。

色々聞くと、どうも「生活改善運動」とかで、金額を千円と1万円に統一するようになったらしい。昔は金額が決まっておらず、結構負担が大きかったのかもしれない。

最初はちょっととまどったが、良く考えると非常にハッキリしていて合理的である。
この 「灰寄せ」 という言葉は、佐久独特のようだ。



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長野県 佐久の風習 1.

北海道に生まれ育ち、東京周辺で30年余を過ごし、佐久に越して来てから丸3年。
日本は狭いようで広い と実感する毎日です。
身の回りで気付いた事を、少しずつ書いていこうと思います。


① 8月1日は、お墓参りの日 (戌の満水)

娘の職場の人が 「8月1日には、お墓参りに行く」 と話していると聞いて、驚いた。
調べると、深い理由があったのだ。

今から269年前の寛保2年 (1742年) 旧暦8月1日、千曲川流域を大洪水が襲った。流域全体で亡くなった人2900人程、その他、流失田畑の被害も合わせるとものすごい大災害だった。
佐久地方の人達はその慰霊のため、いまでも8月1日にお墓参りをする、という訳だ。
会社の中には、その日を休日にしている所もあるらしい。私が来てからは、たまたま土日に当たる事が多いような気がする。

以下は、所属している郷土史研究会で読んだ小諸藩での様子だ。それによると、

「寛保2年7月28日より大雨、翌29日の夜10時過ぎより川が満水、与良町の橋が流出した。翌8月1日は晴天だったが、浅間の前山続きの山が崩れ、大水がでた。辰の中刻 (今の午前9時頃) 北の山の方が振動し次 第に強くなり、俄かに曇り暗闇になった。六供 (ろっく 町の名前) の成就寺の上より高水 が押し寄せ、 本町・六供・田町辺りを押し流し、追手門へ水が入り足柄御門も三の御門も押し流し・・・云々」

と、要するに何もかも押し流され、大被害をもたらしたのだ。
この大災害は寛保2年壬戌の年に起こったので、「戌の満水」 と呼ばれている。

小諸に行った時、氾濫したという中沢川を見てきたが、深い用水路、といった感じの小さな川で、この川が溢れて大災害をもたらしたという事が信じられなかった。
ただ小諸の場合、町全体が斜面上にあるので、上の方から水が押し寄せたらひとたまりも無かったのだろう。

しかし269年も前の災害を忘れず未だにお墓参りをしているなんて、佐久地方の人達の傷の深さと信心深さをつくづくと感じたのだ。尚、被害に遭ったのは佐久地方だけでは無いのだが、他の地方でこの風習があるのかどうかはちょっと分からない。善光平では行われているようだが。

もうひとつ
こちらに来て感じたのは、名前に「袈裟」のつく方が多い事。例えば 「袈裟義さん」とか 「袈裟恵さん」等というように。これも信仰が深く根付いている事をを示す一つの表れではないかと思うのだ。


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プロフィール

万見仙千代

Author:万見仙千代
出身は北海道、長い首都圏生活を経て、ただいま信州在住です。

愛護団体出身で、多分12才になるすず、2011年3月11日に保健所からやって来て家族になった、年齢不詳のまりの2ワンコの散歩を中心に、1日が回ってます。(まりは10月25日永眠しました。家へきて、たった7か月と2週間の生活でした。)

何をするにも、まず散歩から!
散歩は健康の秘訣です。

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