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本・音楽・ペット・合唱・その他色々、書いていこうと思っています♪

何だか気おされちゃって・・・

まだお勤めをしている時代、母と二人で名古屋に観光旅行に行きました。

駅前のビジネスホテルに泊まり、前の歩道に屋台が出ているのを、ぼんやり見ていた覚えがあります。

その日の夕食は、多分名古屋の観光本を見て、名古屋城近くの名古屋キャッスルホテルにしようと、2人とも精一杯お洒落して出かけて行ったんです。

始めての名古屋キャッスルホテルは、ゴージャスな感じ。
外から直接エレベーターに乗れるようになっていて、ボタンを押して待っていると、

ちょうど箱が下りてきて、男女4人ほどの一団が出てきました。
それがねぇ、煌びやかなの!!
そこだけ、キラキラ輝いてるみたいだったの。

「・・・・止めようか・・・・」
「・・・・うん、止めよう・・・」

母娘は、すっかり気おされてしまったんですよ。
何か、みじめ~~な気持ちになっちゃったのね。

母は、お洒落だし実行力もあるタイプだし、私はまだまだお洒落っ気いっぱいの頃だったのに、あれはどういう訳だったんだろう。
あの4人のキラキラした雰囲気に、私達と全然違うものを感じちゃったのね。

とぼとぼとキャッスルホテルを離れて、どこで食事を摂ったのかさっぱり覚えていないの。
名古屋キャッスルホテル、今はどんな風になってるんだろう。
今行ったら、堂々とエレベーターに乗れるかな。

思い出すと、まだまだ若かった自分がおかしくもあります。
今なら、どんな所にでも図々しく入っていけるんだけどな(笑)

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踊るポンポコリン♪

驚いてしまいました。
「ちびまる子ちゃん」 の作者 さくらももこさんが亡くなりました。

私の家では、1990年(平成2年)のテレビ放送から見たような気がします。
大ヒットした 「踊るポンポコリン」 に乗せて始まる楽しいアニメ。
あの番組のお陰で、それまでは全然知らなかったサッカーも、少し知ったんですよ。

清水市(当時)のことも、身近に感じられました。
長谷川健太選手が、さくらももこさんの同級生だったとかを知ったのは、さくらさんのエッセーだったかな。

まだまだお若い53歳での突然の死。
私と同年代の方は、子供と一緒に観ていた方が多いんじゃないでしょうか。
もう大きくなったあの頃の子供たちも、私のような親世代も、驚いた方が多いと思います。

いつの間にか、まる子ちゃんを卒業していた我が家。
今も番組は続いていて、新しいファンを生み続けていただろう 「ちびまる子ちゃん」
早すぎるさくらさんの死が、本当に惜しまれます。

踊るポンポコリン
今でも空で歌えるんですよね。

札幌駅前にあった 「ニシムラ」

今から数十年前、私は小樽から札幌に引っ越しました。

その頃の思い出なんだけど、
札幌駅から外に出ると、真正面に駅前通りが南に延び、すぐ右側に 「ニシムラ」 という洋菓子屋さんがありました。

そのまま南に進むと、やっぱり右側に 「山形屋旅館」 という立派な日本旅館があって、巨人の定宿になっていました。
一度、巨人の選手たちのバスが止まっていたことがあったから、これは本当のことよ。

それはそうと、駅前にあった 「ニシムラ」 のこと。

ずっと後になって三浦綾子さんの本を読んだとき、ニシムラの社長 西村久蔵さんのことが書いてありました。
西村さんはものすごく敬虔なクリスチャンで、ケーキ店の 「ニシムラ」 も、障害のある人のために作ったお店だったとのこと。

場所が一等地だったので、私も何度もケーキを買ったことがあります。
あの辺りは、札幌で最初のケンタッキーの出来た所でもあります。
もしかしたら、ニシムラの後にケンタが出来たのかもしれないな。

とにかく、繁盛していたニシムラはいつの間にか姿を消し、ちょっと調べると、ニシムラ自体が2003年に倒産、全店舗が閉鎖されたそうです。

どうも、その後 ニシムラファミリー という、多分同系列のケーキ屋さんが出来、ニシムラで売っていたお菓子を作っていたらしいのですが、その会社もつい最近倒産。
西村久蔵さんの思いを受け継ぐ会社は、全部無くなってしまったらしいです。

あの、駅前の一等地にあった 「ニシムラ」 に、そんな物語が隠されていたなんて、知りませんでした。

強い者には弱いんだよね

前住地でのことです。

駅前にある、比較的大手の地方銀行に口座を持っていたし、引き落としも振り込みもすべてそこでした。
とにかく便利な所にあるので、いつ行っても混んでいて、特に給料日近辺の混雑は大変なものだったの。

みんな粛々と待つのみなんだけど、ある奥さんが耐えかねたのかフロアに立っている初老の行員に 
「あの~まだですか?もう1時間くらい待ってるんですけど」

すると初老の行員が、
「あのねぇ、お客さんだけじゃないんですよ!みんなこうやって待ってるんですよ!」 
と、ものすごくキツクて居丈高な言い方。

みんなは心の中で
(あんな言い方しなくたって良いのにさ。大体遅すぎるんだよね・・・・)
と思ったけど、誰も何も言えず。

それからまた十数分経った頃、突然ものすごい怒鳴り声が!!! 

「オイ、何やってるんだ!! どれだけ待たせりゃ良いんだよ!!!!さっさとしろよ!!!」

と、巻き舌の混じったものすごくドスの利いた怒鳴り声。

言われていたのは、さっきの上から目線の初老行員。

「ハ・ハ 申し訳ございません。なるべく早く致しますので、申し訳ございません。」

さっきと打って変わった低姿勢でペコペコ。

聞いていた私たち。

(そうだよ そうだよ。ったく私たちを何だと思ってるのさ。オジサン、もっと言ってやって)

とにかく、全員飽き飽きしてたので、目の前で繰り広げられた光景に、すっかりオジサンの味方に。
拍手まで出そうな雰囲気でしたよ。

それにしても、世の中ってやっぱり強い者が勝つのねぇ。

順番だし混んでるから仕方ないとはいえ、あの初老行員の上から目線は皆を敵に回したわ。
ああいう尊大な態度をとる人に限って、強い者には滅法弱いんだと思い知ったことでした。

運動会といえば、嫌な思い出しかないの(涙)

小学生の時の大運動会。
当日は、朝から花火が上がり、「今日は確かに運動会が開かれる」 ということを一帯に知らせるの。

運動会の最初は、必ず校庭をクラスに分かれて一斉に行進することから始まるの。
私は前から2番目だったから、先頭の人の後ろを緊張して歩きました。

何の行進曲か覚えていないけど、勇壮なマーチに合わせて一斉に前進。
ピーッという笛の合図とともに、イチニッで停止。
一度停止すると、もう動いちゃいけないのよね。

ところが大変 (汗)
笛の音と共に止まった私、気付くと前の人よりほんのちょっとずれて立っていたの。
焦りましたよ。
だって、私の後ろの人たちは、私に合わせて止まっている訳だから、私がずれていると皆ずれちゃうでしょ。

苦肉の策で、私は体を少し斜めにして立ってみたんです。
足元はずれているけど、上半身は前の人に合わせてる状況。
フーッ、これで何とか事なきを得た。

と思ったのもつかの間、
後ろの口うるさい男子が小さい声で 
「おい万見、お前体が斜めになってるぞ」 

キイーッとなった私。
それを言うか?? 人の気も知らないで!!
もちろん、私は聞こえないふりをしましたよ。

長い長い開会式が終わるまで、斜めになったまんまの私。
んーー、だから運動会って嫌いなんだよ。

小学校の1年生から嫌いだった運動会。
それから高校を卒業するまで、大嫌いなままで終わりました。
大人になって縁が切れて、こんなに清々したことはありませんでしたよ。

私はアレで、ライトを消すのを止めました

今から数十年前、運転免許を取得してからそんなに経っていない頃。
私は毎日、夫を駅まで送迎していました。

当時、仕事人間だった夫の帰りは遅くて、夜、片道15分くらいの道をひた走る私。
その夜、人っ子一人いない道を走っていると、かなり前を走っている車が1台。

両側の商店街は全部閉まっていて、電柱と信号の光だけ。
すると、前の車が信号が赤なのに、狭い交差点に突っ込んで行ったのよ!!

私はその2つ手前の交差点で信号待ちの最中。
ああああーー!!と心の中で叫ぶ私。

よりにもよって、左から車が走って来て、2台はぶつかってしまった。
事故の一部始終を見ていた私は、完全に気が動転。

信号が青になり、私は無意識に事故のあった手前の交差点で左折。
悪い事をした訳でも無いのに、ただひたすら走っていましたよ。

駅が近づいてハッと気付いたのは、ライトを消したままだったこと。
当時、信号待ちの時にはライトを消すっていうのが流行っていて、私もちょっと運転が上手くなった気分で真似していたのね。
その時すっかり動転していた私は、ライトを点けるのを忘れて、そのまま無灯火で走っていたのね。

あれ以来、信号待ちでライトを消すっていうのは、キッパリ止めました。
あんな事をしたからって、節電になる訳でもないんでしょ。
歩行者の方には申し訳ないかもしれないけど、無灯火で走り続けるよりは良いもの。
ちょっと車に慣れた気になって、やり慣れない事をするのは怖いですね。

あの事故の証人になってあげられたかもしれないのに、咄嗟にはそんなことは吹っ飛んじゃうものですね。
事故を目の前で見た時の動悸も、ハッキリ覚えているんですよ。

あまりの変り様にビックリ

前に住んでいた所での話。

駅近に、お値段2千円ほどで、美味しいお料理を食べさせてくれるお店がありました。
1階は本当に小さなお寿司屋さん。
2階がお座敷になっていて、いつも満員のお客さん。

確か、ホットペッパーかなんかに載っていて、私たちも知ったんだと思う。
和風のコース料理で、味も美味しいし、量も結構あって、我々オバサン連中の行きつけのお店になっていました。

それが、どうした訳かお店が潰れてしまったとの噂が。
え?え?ええーーー??
どうして? と愕然。

それから数か月、またまたホットペッパーに、同じ名前、同じお料理コースで載ったのよ。
喜んだ私たち、早速予約を入れました。

勇んで行ってみると、あれ?1階のお寿司屋さんが無い。
それでも2階の趣は以前通り。

それからねぇ、出てくるお料理、出てくるお料理、以前と同じなんだけど全く味が違うの。
全然美味しくないの。

何だか最後には嫌になっちゃって、お店を後にしました。
どうも、お寿司屋さんが潰れて経営者が変り、違う人が前と同じ献立でお料理を出していたみたいだけど、料理人によってあれほどまでに味が違うなんて、もうビックリでしたよ。

あのお店、また潰れちゃっただろうな。

アコーディオンを弾く人たち

先日、SBCのラジオから流れてくるハーモニカの調べ。

何を隠そう、私ハーモニカがあまり好きじゃないんだ。
私が小学生の頃、音楽の時間に習う楽器は、リコーダーじゃなくてハーモニカ。

ドレミファソラシド♫ のファとシが息を吸うのよ。
後は全部、息を吹き込むの。

あれってさ、拭いた後に振り回して、中に入り込んだ唾を出すのよ。
それやこれやで、私は音も吹き方も、どうにも好きになれなかったのね。

久しぶりにハーモニカの音を聞いていたら、嫌でも思い出したことが。
昔、小樽のお祭りなんかの時、両親と歩いていると、必ずと言って良いほど、白い着物を着て地面に敷き物を敷き、その上に座った男の人がアコーディオンを物悲しく弾いているの。

誰だか分からなかったけど、何となく正視できないような雰囲気をまとった人たち。
頭には、軍帽みたいのを被っていて、前にはお金を入れる容器。

あれが、傷痍軍人の人たちだというのは、親に聞いた気がする。
大きくなって友人とお祭りに行った頃には、もう傷痍軍人の人たちはいなかった気がする。

戦争で障害を負ってしまった傷痍軍人の人たち。
誰が言いだしたのか、あれは傷を負ったふりをしているだけで、本当はピンピンしているんだ、なんて話も聞いたりもした。
それが事実かどうかは私には分からなかったけど、あの戦争のために傷を負った人はかなりの数いたはずだから、一概に嘘だなんてことも言えないはずだし。

とにかく、あの物悲しいアコーディオンの音は、今でもはっきり耳に残っているの。
ラジオから流れるハーモニカの音も、あのアコーディオンと似通ったものがあって、つい思い出してしまったのよね。
私がハーモニカが苦手なのも、あの音が小さい頃に聞いたアコーディオンを思い起こさせたからかもしれない。

一度もやったことが無いリコーダーは吹けない私だけど、好きではないハーモニカは多分今でも吹けるんじゃないかというのは、皮肉なものですね。

タウンちゃん

今から30年くらい前でしょうか。
前住地に引っ越してまもなく、我が家はトヨタのタウンエースを買いました。

夫の母と同居することになり、どこに行くにも普通の乗用車では乗り切れなくなったからです。
ピッカピカのタウンエースを前にして、私は嬉しいというより緊張感の方が強かったんです。
だって、私が免許を必死の思いで取得してから、そんなに日にちが経っていなかったんだもの。

その子は  「タウンちゃん」 という愛称を付けられ、本当に獅子奮迅の働きをしてくれました。
まだ世の中に、そんなにワンボックスカーが普及していない頃、あの大きな図体のタウンちゃんを嫌でも乗り回すことになった私。

夫の送り迎え、普段の買い物、PTA子供会で定員ピッタリの6人を乗せての緊張する遠足。
旅行の時は夫にお任せで、私は助手席でガックンガックン居眠り。
海水浴の時には更衣室代わりに使い、あちこちの観光地に飛び回ったタウンちゃん。

精一杯働いたタウンちゃんにも、お別れを言う日が来ました。
エンジンが途中で止まるようになってしまったんです。

次のセレナちゃんが納入された日、タウンちゃんは入れ替わりに引き取られて行きました。
ピーピーというバック音をたてながら連れて行かれるタウンちゃんは、途中で何度も何度もエンストを起こしながら道路に出て行きました。

夫の後悔。
エンジンオイルをケチって、いつも安物を買ってきては継ぎ足し継ぎ足しばかりしていたから、エンジンの故障に繋がったじゃなかろうか。
ちゃんと真正オイルを使ってケアしてやれば、後10年は保ったかもしれないのに。

エンストしながら連れて行かれるドナドナ状態のタウンちゃんが (イヤだよ イヤだよ) と言っていたようで、みんなちょっとしんみりし、新しいセレナちゃんにも目移りし、複雑な心境でしたっけ。

今じゃワンボックスなんてとんでもない!という状態になった私は、普通の乗用車にモタモタと乗っています。
若かったとはいえ、よくあんなデッカイのに乗っていたなぁ。

商品券だけ盗られたの

当時住んでいたマンションでのこと。

今みたいに、セキュリティがしっかりしている訳じゃなかったから、誰でも入り放題だったマンション。
入り口を入ったすぐ横に、郵便受けがズラリと並んだ一角があって、そこで盗難騒ぎがあったのよ。

犯人は、郵便受けから封書を取り出しては封をはがして中を見て、金目の物があったら抜き取り、また戻しておく手口。

ある日、母から電話があり
「アンタったら、前に商品券を送ったのに、何にも言ってこないんだから。どうなってるの!??」 とご立腹。

えええ? 知らないよ、そんなこと。

・・・・そういえば、郵便受けからの抜き取り事件があったって、貼り紙がしてあったっけ。
え?まさか我が家もやられたの??

その貼り紙があってから、各戸は郵便受けに鍵を付けたりして自衛を図ったんだけど、犯人は棒の先にお餅みたいなベタベタした物を付けて投函口に差し入れ、それで郵便物を持ち上げて盗っていたんだって。

どの家も散々やられて、そのうち犯人が捕まったのか被害も無くなったんだけど、ああいう手口もあるんだわと驚いたんですよ。

おばあちゃんの知恵

先日、娘の旦那さまが、すずの毛をファーミネーターで大量に処理してくれました。
もう抜ける抜ける、これから冬に突入していくのに、こんなに抜けて良いの?ってくらいに抜けたらしいんだけど。

抜けた毛はせっせとバケツの中に入れるんだけど、どうしてもフワフワとそこら中に飛ぶのよね。
それで玄関ドアを開けると、中にどっと舞いながら入り込んでくる。

あーあ、玄関はすずの毛だらけ。
箒で掃こうとしても、舞い上がってもっと大変なことになるだけ。
そこで思い出しました、母が昔の家を掃除していた姿を。

新聞紙を数枚水で濡らして軽く絞り、それを畳の上に千切っては投げ、千切っては投げ。
最後に部屋中に飛び散った濡れ新聞を箒で掃くと、あら不思議。
濡れ新聞にゴミがくっ付いて、綺麗に掃除できるという訳。

それを思い出して、濡れ新聞を玄関にまき散らしてみました。
やっぱり、おばあちゃんの知恵よねぇ。
玄関にフワフワしていたすずの毛だけじゃなく、土やら何やら全部綺麗になりましたよ。

昔の人の考えは、やっぱり凄いわね。
これから、玄関はこの方法で掃除しようと思ったのでした。

あまりにトントンと順調に進みすぎてー ぞっこんさく市

昨日、一昨日の2日間、佐久市駒場公園で 「ぞっこんさく市」 というお祭りが催されました。
前身の 「企業展」 から数えて50回!
今年は記念大会だったみたい。

10月30日には、関脇の御嶽海も来て、子供相撲も行われたりしたんだけど、私は用事で行けず。
仕方ないので、2日目の11月1日に勇んで出かけて行きました 

最初っから、目的は決まっていたんです。
2日目は9時開会で、私は9時ちょい前に着き、さっそく会場へ。

やっぱり佐久時間だわねぇ。
もう人が大勢来ていましたよ。
最近すっかりボーっとしている私は、肝心のカメラを忘れて写真はありません。

まず歩いていると、目的の一つ ケバブ屋さんの前を通りかかりました。
まだ準備中のオジサンに、「後で取りに来るから作っておいて! 中辛ソース4つに甘口1つ!!」 とフライング注文。
快く注文を受けてもらいました。

さてさて、もっと歩くと、これまた目的の一つ 「瀬川のむしり」 がありました。
ここでも2番目の位置をゲット。
オジサン、4つ頂戴!! と、ずっしり重いむしりを持って、次の目的地へ。

佐久創造館の中で、小松屋さんの搗き立てお餅を買い、美味しそうなドーナツも買い、荷物はどんどん増えていきます。
さて、ケバブ屋さんに戻り、5つのケバブを受け取り、さあ、もう帰っても良いのよ。
この時点で9時半頃。

さすがに同行者から、こんなに早く帰るなんて! と文句が出て、私もあちこちブラブラしながら時間つぶし。
しっかし、こんなに上手く目的物をゲットできた さく市 は無かったわ~
ものすごく満足な私(笑)

その夜のおかずは、もちろん 「むしり」

むしり


ホットプレートで温めて、夫が文字通りバラバラにむしります。
さあ、召し上がれ。
みんなでモリモリ食べて、家中むしりの匂いの充満する中を、見事に食べ終わりました。
あーあ、美味しかった 

ショッピングカート

私は、末っ子が生まれるまで、自転車に乗れませんでした。
小樽って坂が多いから、自転車はかなり大変だったんですよ。

とか言って、嘘ウソ(笑)

確かに坂のせいもあったんだけど、何と言っても私がドンくさかったのが一番なんだ。
自転車なんてすっかり諦めていたんだけど、ある日一念発起して練習を始め、必死になってやっと乗れるようになったのよね。
その時の嬉しかったこと 

駅から15分くらい離れていたマンションに住んでいた頃、自転車に乗れない私は、いつもショッピングカートを引っ張って買い物に行っていたの。
あの頃、あのショッピングカートは結構流行っていて、私の他にも数人はスーパーの入り口にカートを置いている人がいたっけ。

とにかく往復で30分は歩くから、あれはかなり良い運動になっていたはず。
今は何処に行くにも車でサッと行ってしまうから、あの頃と比べて運動量が完全に減っている。
その結果がこのお腹 
たまには歩いて行かなくちゃと思うんだけど、こちらのスーパーであのカートを引いている人を見たことが無いのよ。

手ぶらで歩きだと、あまり大物は買えないでしょ?
これから年をとるにつれ、あの懐かしのショッピングカートを使えば良いんじゃないかと思うんだけど、ちょっと勇気が要るかも。
そもそも、お店で売っているのを見かけたことが無いし。
色々考えてみると、あのカートは雪の時には使えないのよね。
こちらで売っていないのは、そういう理由もあるかもしれない。

自転車に乗れるようになってから数年後の、かなり良い年になってから、今度は車の免許を取ったの。
教官にいじめられながら必死の思いで免許証をゲットした時は、もう最高の気分♪

歩き → 自転車 → 自動車
ホップステップジャンプの、私の移動方手段でした。

四国 「とべ動物園」 の白くま・ピース

今から十数年前、まだ前の家に住んでいた頃、四国の 「とべ動物園」 に生まれた、白くま・ピースのドキュメンタリーを見ました。

小さなピースが余りに可愛いのと、飼育員・高市敦広さんの努力が頭が下がるほどで、食い入るように見たのを憶えてます。

特に、ピースの体が大きくなってしまい、高市さんの危険を考えて、それまで夜は高市さんの自宅に連れて帰っていたのを、動物園に置いて行かなくてはならなくなった時、ピースは泣き叫んでしまって、こちらも涙が止まらなくなりました。

何故ピースを思い出したかというと、今日のTVで、タレントの山口智充さんがピースのところに訪ねて行ったのを見たから。
ピースは何と17歳になっていました。

そんなに大きくなったんだ。
穏やかに暮らしていてくれると思ったんですが、ピースは癲癇の持病を持っていたのです・・・・・

プールの中で発作が起き、高市さんが水に飛び込んで助け出したのを見て、何となくですが、ピースは高市さんと引き離されたストレスで癲癇になってしまったんじゃないだろうか、と感じてしまいました。
これはあくまでも私の感じたことで、それが確かだという訳ではもちろん無いけれど、まりの発作も何かのストレスを受ける度に起こっていたもんだから。

大きくなっても、細心の注意が必要だという白くまの飼育。
体に似合わず、とても繊細だという白くま。

ものすごく難しい人工飼育で、17歳まで育ったピース。
高市さんの愛情のもと、心穏やかに幸せに暮らして行ってもらえれば嬉しいんだけど。

社会文化会館

今から十数年も前のこと、当時、永田町の三宅坂にあった社会文化会館に行ったことがありました。
あそこのホールで開かれた催し物に行ったんです。

社会文化会館というのは、今の社民党の前身 日本社会党の本部です。

私はあまりあの辺に詳しくはないので、誘ってくれた友人の後をついて行きました。
暗い道を歩いてビルに着き、上階にあったホールに行ったんです。

すべてが古くて、ある意味厳粛な感じのビルでしたよ。
あの頃はまだ社会党の勢力が盛んな頃で、たしか土井たか子さんも活躍されてたんじゃなかったかな。

特に政治的な催しでもなかったのに、よくぞあの社会党が本部のホールを貸してくれたものだ!って感じだったんです。

その後、社会党は社民党になり、社会文化会館も取り壊され、他に借りた本部も手放すことになり、この5月には、永田町から離れた隅田川べりのビルに移るそうです。

国会議員がたったの4人では、永田町では維持が出来なかったんですね。

「国会から遠い&狭い 議員4人の社民党が引っ越し (TV朝日)」 
という記事を読んで、思わず遠い日を思い出しました。

給食のせいなんだよ

我が家には3人の子供がいるんだけど、揃いも揃って嫌いな食べ物があるの。

それは グリンピース

私は、全員が小学校を卒業してから初めてそれを知り、ビックリ 

へええー、そうなんだ。

色々聞くと、どうも小学校で出された 「グリンピースご飯」 が原因みたい。

それはそれは美味しくなかったおまけに、い~っぱい入っていたんだって。

グリンピースといえば、私が幼い頃には、焼売の上に1個だけ載っていて、嬉しかったりしたもんだけどなぁ。

学校側としては、彩も良いし栄養面のこともあるし、さぞかし子供たちが喜んで食べてくれると思って入れていたんだと思うのよ。

ちなみに、自校で給食を作っていた学校だったのに、まさか作ってくれていた人たちも、3人の子供たちがグリンピース大嫌いっ!!となってしまったとは思わなかったでしょうね。

我が家の子供たちだけがそうだったのか、他にもアンチグリンピース派がいるのか、それは分からないんだけどね。



ところで、弥生3月も24日だというのに、今日も寒い1日でした~
なして、こんなに寒いだろうねぇ。

そんな中、庭の梅の花が数輪咲いているのを発見。
早く早く、満開になって、本格的な春が来てくれないかな。

梅の花

電話代のお話

結婚して、東京近郊に住むようになった数十年前。
最初のうちは知り合いも無く、私は家で、ただひたすらクロスステッチに精を出していた。

昔から不器用で手芸は苦手なんだけれど、クロスステッチだけは得意。
だって、あれは糸を☓に刺せば良いだけだから。

母が持たせてくれた本を頼りに、毎日毎日飽きもせずに糸を刺し続け、次々に作品は出来上がるのよ。
でも、いかんせん、それを何かに仕立てることが出来ないの。

クッションにもならず、テーブルクロスにもならず、もちろんバッグにもならないで、貯まり続けるクロスステッチの作品。
そのうち飽きて、作らなくなってしまった。

夢中になったのは多分、1か月程度だったかな。

その月の電話代請求書を見て、私はビックリ 
基本料金 + 10円 だったのだ。

当時はまだ、電話が3分10円の時代。
その月に私は1度だけ電話を使っただけだった訳。

今じゃ、タダ友と携帯で喋り放題。
このお喋りが明日への活力になっているだから、今の状態が良いのよね。

ちなみに、あの中途半端な作品たちは、引っ越しの時に全部処分しましたとも。





カーテンのトラウマ

朝、起きてカーテンを開ける時、小樽時代の子供の頃を思い出しちゃうのよね。

何故かというと、勢いよくカーテンを開いた時に、レールの端に付いている留め金が外れて、引いたカーテンがバァーッと外れることが何回もあったの。

1回や2回じゃないのよ~
何回も何回も外れたの。

そのたびに私は、大袈裟に言うと、頭から血の気が下がる感じ 

だって、チビの私にとって、高い所にあるレールに、下に落ちてしまったカーテンの金具を一つ一つ嵌めて行くだけでも大ごとだったし。
最後の金具はどうしたのか憶えていないんだけど、多分親に言って、やってもらったんだろうな。

それにしても、何であんなに簡単に金具が外れたんだろう??
多分、あの頃のカーテンレールの造りが、今に比べてかなり ガッサイ (北海道弁で、造りが安っぽい) 物だったんじゃないかな。

あの記憶のお蔭で、今でも私はカーテンを開ける時、少しヒヤヒヤしながらそーっと優しく開けるようにしてるんだ。
あれが私だけのことだったのか、姉も同じ思いをしていたのか、今度聞いてみようっと。


「坊やちゃん、坊やちゃん」 ってさぁ

昔、我が家が初めて車を持ったころのことです。

まだ若かった私たちは、嬉しくてしょっちゅうドライブに出かけていました。

そしてある日、ちょっと遠出して、山梨のある温泉に行ったんです。

中居さんに案内されて部屋に通されると、まだ1才少々でヨチヨチ歩きだった長女を見て

「まあ、可愛い坊やちゃん。何才ですか? 可愛いこと、坊やちゃん 」 とニコニコ顔で何回も、「坊やちゃん、坊やちゃん」 って言うのよ。

娘のその日の格好は、母が編んでくれた、真っ赤な可愛いワンピース。
白いタイツを穿かせて、ムチムチの太くて短い足がピョコピョコしていて、親の私が言うのもなんだけど、どっから見ても女の子にしか見えないはずなのにぃ。

まだ若かった私は 「あの~、この子、女の子なんですけど・・・・」 のひと言が言えなかった。

そりゃあ、髪がチリチリで短いから、結って可愛いリボンを着ける訳にもいかなかったんだけどさ。

それ以来、私はどんな赤ちゃん、チビちゃんを見ても必ず 「女の子ですか??」 って聞くことにしてるの。
これね、ワンコにも言えることで、性別が分からないワンちゃんには、必ず 「女の子?」 って聞くのよ。

どんな人でも、「男の子?」 より 「女の子?」 って聞かれる方が嬉しいと思うのは、何故かしらね。


そうそう、「真田丸 最終回」 
長野県内視聴率は、21.8% だったそうです。
BSだったり、録画して見たりした人も含めれば、もっと視聴率は伸びてるはずよね。

箱根神社で、すばらしい技を見たことがあるの

箱根神社の前に、今朝の散歩途中、虹が出ていたの♪

「晴れているのに雨が降る。 こんな日は、狐の嫁入りがあるのよ」

これは、好きだった映画 黒澤明監督の 「夢」 に出てくるセリフ。
狐の嫁入りなら、是非とも見てみたいな。

虹


箱根神社の話でしたね。

大昔、友人と二人で箱根を旅行しました。
その時の話です。

箱根神社の石段を登っていたら、右側の建物の所に人だかりが。
のぞいて見ると、そこは弓道場で、今まさに袴姿の男性が弓を引くところでした。

ピーンとした空気が流れ、大勢の見物人も息を呑んで見守るうちに 、ギリギリと矢を引きしぼる右手がぶるぶる震えていました。

(ああ 大丈夫だろうか) と思ううち矢が放たれ、見事、的の真ん中に命中!
見物人から、ほぅーっとため息が漏れ、一斉にざわめいたの。

傍に 「弓道八段者演技会」 (はっきり覚えてないけど) という看板が立っていましたっけ。

スゴイ!の一言。  
あんな緊張感の中で、大勢の見物人の前で 、的に命中させるなんて。 
一体どんな修行をしているんだろう。

見物人の中には小学生も何人かいましたが、誰も声も出さずに 見つめていました。
子供さえ取り込まれる雰囲気だったんですよ。

あんな場所に立ち会えるなんて、滅多に無いことですよね。
今でも、素晴らしいものを見せてもらったと思っています。

プロフィール

万見仙千代

Author:万見仙千代
出身は北海道、長い首都圏生活を経て、ただいま信州在住です。

愛護団体出身で、多分12才になるすず、2011年3月11日に保健所からやって来て家族になった、年齢不詳のまりの2ワンコの散歩を中心に、1日が回ってます。(まりは10月25日永眠しました。家へきて、たった7か月と2週間の生活でした。)

何をするにも、まず散歩から!
散歩は健康の秘訣です。

リンクはお気軽に。

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