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本・音楽・ペット・合唱・その他色々、書いていこうと思っています♪

伊勢湾台風

小樽の小学校に入学して、最初の思い出かもしれないのが 「伊勢湾台風」

とにかく、3月生まれのチビで、担任の先生の顔も、学校での出来事も覚えていない私が、先生の

「伊勢湾という所で大変な台風があった。救援のために何か送れる物があったら、学校に持ってくるように」

といったような言葉をハッキリおぼえているのだ。
もちろん、先生の仰ったのはこの通りの言葉では無かったのだろうが、大体はそういうことだったと思う。

当時、繊維問屋だった我が家でも、毛布や衣類などを出したのだが、住んでいたのが繊維問屋街だったので、同級生も同じような物を出したのではないだろうか。

もちろん低学年の私が毛布を学校まで運べるわけもないし、親が持って行ってくれたのだと思うけど。
あれは、学校が代表してまとめて送ってくれたのだろうか。

今、こちらに向かっている台風24号が 「伊勢湾台風」 並みの勢力だと聞いて、恐ろしくなってしまった。
何しろ伊勢湾台風というのは、私の人生で最初に名前を覚えた台風だったし、あれほどの被害を与えたということでも、脳裏にしっかりとインプットされたものだったから。

どうか今回の台風が、ひどい被害を出さずに通過してほしいと祈るような気持ちです。


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昔、小樽では書道を習う子が多かった

小学校の頃、お習字を習っていたの。
それから、6年生まで習い続けた。。。。 って言いたいけど、とにかく飽きっぽい性格だったから、途中でグレて何回も中断。
何とか6年生に辿り着いた感じ。

あの頃、私の周りでは、とにかくお習字熱が凄くて、猫も杓子も習ってる感じ。
それと競っていたのがソロバン。
母は、私の計算能力に絶望していたのか、ソロバンを習えとは言わなかったのね。

小学校の近くに、それは綺麗で和服姿もキリッとした中年の女性の先生がいらして、その先生の書道教室は大入り満員。

ごく普通の民家の2階が教室になっていて、行ってガラリと玄関の引き戸を開けると、すぐに狭い階段が2階まで通じていた。
その1段目からてっぺんまで、各段に子供が一人ずつ座って墨を磨っていたのよ。

狭い階段の右側に子供が座り、練習を終えた子は左側を通って階段を下り、1人帰ると1番上の段に居た子が部屋に入って練習を始め、階段に座っている子達は順番に1段上がる、という状態。

畳敷きの部屋に置いてある机の所まで辿り着くと、さっそく練習開始。
階段に座っていた時に、ずっと墨を磨っていたから、墨の準備は万全。

筆を持って何回も何回も書き、時々先生の所に持って行って直してもらい、最後に (これだ!!) っていうのが出来上がると、お清書として提出。
そしたら、例の狭い階段で墨を磨っている子達の横を通り過ぎて、帰るというわけ。

だから、1回にかかる時間はかなりのものだったと思うんだ。
今思えば、のんびりした時代だったのね。

お習字教室の思い出は色々あって、一度なんか教室の皆でオタモイ海岸までバスを仕立てて遊びに行ったこともあったっけ。
いつも着物姿の先生が、凛々しいスラックス姿だったのが、とっても印象に残っています。

考えてみると、クラスの子の大半が習いに行っていたようなお習字教室。
墨の匂いが好きなのは、この頃の思い出があるせいかもしれない。

あんなに頑張って練習したのに、私の腕はそんなに上達しないままに終わり、漢字もどんどん忘れ去り、困った状況になってしまっているのよ。
あのお習字教室のあった家、まだあの場所にあるんだろうか。
今度帰ったら、探しに行ってみようかな。

小樽市民会館

私が小学生の頃、小樽にはホールと言えるようなホールが無くて、何かの発表会などの時には、市役所のホールを使っていました。

あのホールで私は 「灯台守」 を歌い、ずーっと後年になってから、わざわざ見せていただいたことがあります。
懐かしかった~

やがて、小樽にも市民会館を!という機運が盛り上がったのか、まもなく小樽市民会館が出来上がったんです。
あの市民会館はフルに活用され、我が家は母の英断で 「労音」 ていうのに入り、数々の舞台を観に行きました。

オペラ、バレエ、管弦楽
時にはロックの演奏会
ある時は、お芝居

特に覚えているのはオペラ。
当時のトップ歌手の〇〇さん (どうしても名前が思い出せない) が主役の 「カルメン」
彼女が酒場の場面で、テーブルの上に立って煽情的に歌ったのを、凄いわぁ~と思いながら観たものでした。

どうも、カルメンがテーブルの上で腰に手を当てて歌うというのは定番なのか、ずっと後になって、もう盛りを過ぎた女性歌手がそれをやって、ちょっとゲンナリしたのも覚えています。

そういえば、ベートーベンの第九を初めて聴いたのも、あそこでした。
1楽章から3楽章までずっとウトウト 
4楽章になってガバッと目が覚め、大合唱に感激する。
これは今でも第九を聴くときの定番です。

まあ、そんな感じで随分お世話になった小樽市民会館。
多分今ではとても古くなったでしょうが、ネットで見る限り今でも活用されているようで、嬉しいんですよね。
帰ったら見に行きたい行きたいと思いつつ、果たせないでいるんですが、今年こそは行こうと思ってるんですよ。

何しろ古いですからね。
早く行かないと、取り壊しなんてことになり兼ねないでしょう?

あああ赤い 小樽の灯が見える~♪

もう、今年の帰省日程が決まりました。
何でそんなに早く!! と思われるかもしれないけど、夏の北海道の人気ったらアナタ。
それはスゴイのよ~

飛行機もホテルもどんどん予約していかなくちゃ、高くなること高くなること。
そんな訳で、7月の帰省が2月には全て決まってしまったんですよ。



父が車の免許をとったのは、私たち姉妹がまだ小さい頃でした。
嬉しかったんでしょうね。
父はしょっちゅう家族を乗せて、国道5号線を札幌に向かって車を走らせました。

その車中ではラジオが流れ、その中でも一番記憶に残っているのが
「小樽の赤い灯が見える」 という曲でした。
あんまり何度も何度も聞いたので、今でも歌えるんですよ。
三船浩さんていう方が、歌っていたんですね。

  夜の闇ゆく 
  ヘッドライトに
  はねありの散る  
  札樽国道
  君と肩  
  かすかにふれて
  あああ赤い
  小樽の灯が見える


真っ暗になった国道を小樽に向かって走る時、この曲が流れて小樽の灯りが見えて、ピッタリの雰囲気だったのよね。
「君と肩 かすかに触れて」
ちょっとチビには早すぎる歌詞だったけどね(笑)

はねありの散る → は、羽蟻のことかな?

小樽の 「たこ寅」

大昔、小樽のメインストリート、ニューギンザ・デパートと丸井さん (丸井今井百貨店) の間に、「たこ寅」 という小料理屋さんがありました。

父が大好きなお店で、夏になるとお店の前に ヨシズで囲った小屋を建て、そこでウナギを焼くんです。
そのたまらなく香ばしい匂いは、辺り一面に流れて行き、みんな思わずお腹がグウグウ鳴りそう。
匂いにつられて、お店に入って行くお客さんも多かったんです。

その 「たこ寅」 の分店が、私の家の斜め前に出来て、やっぱり本店と同じように季節になるとウナギ小屋を設え、良い匂いが流れてきて、父に連れて行ってもらいました。
考えてみると、私のウナギ初体験は 「たこ寅」 なんですよね。

「たこ寅」 の名物はウナギだけではありません。
冬は何と言っても 「おでん」 です。
分店は、ハンサムなお兄さんと綺麗な奥さんがやっていて、奥さんはいつも着物姿でした。

たこ寅のおでんは、今でも我が家のおでんの元になっています。
特徴は、姫竹を何本か結んで煮込んだものと、お豆腐です。
お豆腐のおでんって、ありそうで中々無いんですよ。

姫竹は、長野で言うところの根曲り竹と同じじゃないかな。
北海道には孟宗竹が無くて、結婚して初めて孟宗竹を買ったは良いけど、下拵えのやり方が分からず、東京にいる祖母に電話をして教えてもらったものでした。

たこ寅の分店は、いつの間にか姿を消し、本店もどうやら店仕舞いをしてしまったようです。
あの懐かしい店構えを思い出すと、小樽の古き良き時代も思い出すんですよね。

小学校の地図授業

今日はとんでもない事件がありましたね。
前に住んでいた所と遠くはないので、本当に驚いてニュースを見ていました。


事件とは全然関係は無いんだけれど。

かつて小樽で小学校時代を送っていた頃、あの頃の小学校は授業時間に余裕があったのねぇ。
先生が何時間も使って、日本地図を書く練習をさせたの。

みんな、お絵かき感覚で、何度も何度も描いては先生に出し、みんなにも見てもらい、楽しい授業だったのよ。
最初は北海道の地図から始まって、最後には日本全国の地図。

これを何度も描いたからか、今でも私は日本地図を空で描けるのよ。
これってスゴイことだと思うんだけど。

もちろん子供のことだから、詳細にとはいかないけれど、今でも必要最低限の地理は分かるのよ。

その他に習ったのは、「いろはにほへと」 の歌。

「いろはにほへど ちりぬるを わがよたれぞ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし えひもせず」 

本当に小さい時に習ったことって、忘れないものねぇ。
我ながら感心するのですよ。
どの先生が教えてくれたのか、さっぱり憶えていないんだけど、感謝感謝です。

今の小学校は、先生も生徒も忙し過ぎて、あんな授業をする暇は無いんだろうなぁ。

小樽の 「入船市場」 の取り壊しが始まったそうなんだけど

北海道の友人からメールが。

入船町にある入船市場の取り壊しが、始まったらしいって。

ガガーン 

この市場は本当に懐かしい市場で、小さい頃、いつも買い物かごをぶら下げて買い物に着いて行った所なの。

当時は本当に活気のある大きな市場で、魚はみんな、さっきまで生きていたような新鮮さ。

各店を裸電球が照らしていた、ちょっと薄暗かった大きな市場。

中は縦横に通路が伸び、魚屋さん、肉屋さん、八百屋さん、お菓子屋さん、お惣菜屋さん。
とにかくいっぱいのお店がズラリと並んでいて、うっかり手を離そうものなら、迷子になってしまいそうな市場だったのよ。

あの市場がねぇ・・・・
駐車場も無い街の中にある市場だったから、今の時代には合わなかったのよね、きっと。
私もたまに帰った時、新南樽市場ばかり行ってしまったもの。
申し訳ないことをしてしまいました。

あの辺りは私の幼い頃からのテリトリーだったんだけど、最近、車の移動にすっかり慣れてしまっている私は、あの辺りを全然歩いていなくて、来年に帰った時にはもうあの市場は無くなっているのね。

残念です。

「小樽 大雪 消えて行く市場」

何だか、一篇の詩が出来そう。 

あれが、ウグイス谷だよ

小学校の5年生の時、札幌見学旅行に行きました。

行く何日も前から、クラスでは色々大変!
バスの席順を決めたり、「旅のしおり」 を作ったり。

今、覚えているのは、バスには1シートに3人が座るべきだとか、侃々諤々の議論をしたこと。
最終的には、2人掛けになった気がするんだけど、一クラス50人くらいいた私たち、乗り切れたのかな?

今でも同じだけど、旅行って行く前の準備段階が一番楽しくない?
バスの中で歌う歌とか、バスの通るルート沿いの見どころとか、さまざま書いた 「しおり」 を貰って、もうドキドキ。

当日、学校の前に何台ものバスが止まり、決められた通りに乗り込んで、いざ出発 

札樽国道 (国道5号線) を一路札幌に向かいました。
この道は、父の運転でしょっちゅう走っていたけど、クラスメイトとのバスの旅というと、一味もふた味も違います。

左側に海を見ながら大きくカーブし、下に緑深い谷のある所では、
「ここは~ ウグイス谷でございま~す」 とバスガイドさんが教えてくれました。

へええ、ここは 「ウグイス谷」 って言うんだ。
これは初めて知った事で、こんなことを知るのも、見学旅行ならではだわ。
山の方に見える、規則正しくアーチが並んだ建造物は、「手稲鉱山」 だったし。
いつも、(あれは何だろう?) と不思議だった私は、それを聞いて納得したのです。

札幌に着いてからは、「北海道新聞社」 で、ものすごい勢いで回る輪転機に驚き、 「雪印」 では、お土産にアイス最中をもらい、
あとは確か、放送局を見た気がするけど、ハッキリした記憶は無いのよ。

6年生になると、洞爺湖への一泊旅行だったんだけど、あの時は列車で行った気がするの。

途中、白老でアイヌコタンを見たり、洞爺湖の駅で降りて、宿の客引きのオジサンたちに驚いたり。
煙を上げている昭和新山に上り、後でその時のスナップ写真を見て、自分の足のカッコ悪さに悲しくなったり。

小学校6年生と言えば、女子は思春期に差し掛かった難しいお年頃でもあったんですよ。
あれこれ楽しく、ほろ苦くもあった小学校の旅行。
今の子供たちも、やっぱり同じ気持ちなのかな。

小樽市内見学

小学校の4年生くらいの時、小樽市内の色々な施設を見学した時がありました。

行った所は、市役所、消防署、裁判所、
その他にも行ったのか、忘れてしまったのか憶えてないのよね。
何しろ徒歩だったんだから、そんなに色々回れたとは思えないんだけど。

記憶に残っているのは、消防署と裁判所。

消防署は、3階の仮眠所から1階の車庫まで数本の棒が通っていて、ジリジリジリ・・とベルがけたたましく鳴ると、消防士さん達がその棒に掴まってスルスルとあっという間に消防車の所まで滑り降りるんです。

確か実演してくれて、私は口をアングリと開けて、見惚れた覚えがあります。

そして裁判所。
我々は傍聴席に座り、目の前で行われる現実の裁判を傍聴したんです。

どんな裁判だったか、多分軽微な犯罪だったんでしょうけど、大勢の小学生の目に晒されて裁判を受ける身にとっては、辛いものだったろうな、と思うんですよ。

小学生の頃の記憶って、結構長く残るものなんですね。
あの裁判を傍聴したからって、(将来、あんな風になってはいけない) などと思った記憶も無いんだけど、若い男の人だった被告が目の前に入ってきた光景は、今でも良く憶えています。


ところで、これは佐久市の菜種で作られた菜種油です。
先日、知り合いにいただきました。

菜種油1


佐久市瀬戸にある、「楽農倶楽部・菜の花部会」 さんが、瀬戸で育てている菜の花から採れた菜種油です。

特徴は、
〇遺伝子組み換えではありません。
〇油の酸化を防ぐ、ビタミンEが豊富
ということです。

菜種油2

生食でも加熱でも、いけちゃう優れものみたい。
有難くいただこうと思います。

全国の 「市町村魅力度ランキング」 で、小樽が4位!!

小樽の友人が教えてくれました。
全国の 「市町村魅力度ランキング」 で、小樽が4位になったそうです!

ヤッタネ 

都道府県別好感度ランキングでは、北海道がダントツの1位。
市町村別では、1位が函館、2位が京都、3位が札幌、4位が小樽、以下、横浜、富良野、鎌倉、金沢、神戸、別府と続いています。

これは嬉しいニュースだわ~

この調査を行ったのは、
「株式会社ブランド総合研究所」 で、国内1,000の市区町村及び47都道府県を対象に、認知度や魅力度・イメージなど、全77項目からなる「地域ブランド調査2016」、とのことです。

色んな会社があり、色んな調査が行われているんですねぇ。

もっともっと、小樽に観光客がいらして下されば良いな。
そして、小樽の魅力を全国の皆さんに喧伝していただきたいものです ♪


ところで、今日はボランティア合唱がありました。
今までは、決まった所に行っていたんですが、今日は初めての場所。

集まって下さった十数人のお客様を前に、歌って踊っての1時間。
最後には、そこで作ってくださったホカホカのお弁当を頂いて帰りました。

我がボランティア合唱団が始まって1年と少し。
だんだん、活動範囲が広がっていくんですね。
月曜日にも別の所にお呼ばれしてるし、頑張らなくっちゃ 

帰省の旅その4 小樽運河近辺と 「消防犬ぶん公」

旧日本郵船の近くには、北運河があります。
北運河は、完全に観光地化された辺りとは違って、昔ながらの運河の雰囲気を残してるの。
プラプラと歩いてみました。
北運河

左に見える大きな建物は、「北海製罐」 の社屋です。
今は明るい色に塗りかえられましたが、以前はもっと陰鬱な感じの茶色っぽい色でした。
この建物も好きなんです。
北海製缶社屋

小樽が生んだプロレタリア作家・小林多喜二の 「工場細胞」 のモデルになった会社なんですよね。

その近くにある北海製罐の工場です。
北海製缶倉庫

この部分は、出来上がった缶詰を下に降ろす為だと、何かで見ましたよ。
何でだったろう??
北海製缶スロープ

北運河には、漁船もたくさん係留されていました。
ライトがいっぱい付いているから、イカ漁船かな。
小樽沖には、夜になるといっぱいの漁船がライトを煌々と点けて並ぶんですよ。
漁船

近くの「運河プラザ」前にあった、「消防犬ぶん公」の像です。
ぶんこう

「ぶん公」 って、こういうワンコです。
ぶんこう説明版

私は全然知らなくて、あるブログ様のところで知ったのよ。
こんなワンコがいたなんて、当時は聞いたことがなかった。
せめて、学校ででも、こういう話を教えてくれれば良かったのにな。
当時で24歳まで長生きしたなんて、ぶん公は幸せなワンコだったのね。
胸が温かくなるお話です。
ぶんこう写真

もっとお天気が穏やかだったら、近くの遊覧船乗り場から、オタモイ海岸までの遊覧船に乗りたかったの。
でもとっても無理でした。
帰省の旅 小樽編は終わりです。
明日からは、札幌編に移ります。
もう少し、お付き合い下さいね。

帰省の旅その3  私はここへ行きたかった!!「旧日本郵船小樽支店」

今日は、今回の小樽行きの目玉、 「旧日本郵船小樽支店」 を見ていただきたいんです。
郵船全体
どうです、この威容!!

かつて、ここは 「小樽市立博物館」 でした。
明治37年着工、明治39年竣工の重要文化財です。
設計者は、佐立七次郎です。

昭和31年に小樽市立の博物館になった所で、私は小学校の頃から何回となく訪れていました。
行くときは、ほとんど一人。
考えてみると、私の博物館・資料館好きの原点は、ここなんですよね・・・・(遠い目)
あああ、懐かしい。

私が小樽から離れている間に博物館としての役目を終え、「旧日本郵船小樽支店」 として、一般に開放されています。
入館料は300円ですよ。
「写真を撮っても良いですか?」 と聞くと 「どうぞどうぞ、どんどん撮ってください!」 ですって。

ここは、入ってすぐにある受付です。
郵船1

こちらは、中から見たところ。
郵船2
鼈甲色の机も柱も椅子も、素敵ですよね~

こちらは階段。
郵船3

2階に上がると、廊下が伸びています。
廊下
この辺りに来ると、胸がキュンキュン鳴るのよ 

博物館の頃、この廊下にも大きなガラスケースが置かれ、色々な動物や鳥の剥製が飾られていました。
ヒグマ、オオカミ、キツネ、タヌキ、その他諸々。
いつ行っても同じ展示で、特別展なんて開かれてる訳でも無かったのに、とにかく何回も行ったの。
あの黴臭い古めかしい匂いが、今でも忘れられません。

ここは 「日本郵船小樽支店」 だったから、様々な会議が開かれたりしたんです。
こちらは貴賓室。
貴賓室

そしてこちらは、2階の会議室。
明治39年に、樺太の日露国境画定会議が開かれた場所です。
食堂

いかがでしょうか、旧日本郵船小樽支店。
あんまり思い入れの深い建物なので、本当に懐かしかった!
小樽に行かれることがありましたら、是非とも訪ねてみて下さいね。


帰省旅行その2  小樽いろいろ

砂場のお蕎麦をたらふく食べて、ものすごい風の中を歩く私。

ここは、旧永井町(ながいちょう)、今は住吉です。
長井町

私はこの辺りで育ちましたから、見るもの見るもの懐かしい所ばかり。
ご覧になっても、興味のない写真でしょうが、ちょっとお付き合いください。

ここは、小さな公園。
私がチビの頃も公園でした。
それがある日、「商工会議所」 というビルになってしまったんです。
我々子供がガッカリしたかどうか覚えていないんですが、遊び場が一つ無くなってしまったのは確かです。
それが、いつの間にか元の公園に戻っていたという訳です。
公園

どんどん坂を下り、入舟町に入ります。
そこから坂を上ると、今でも仏壇屋さんの多い、ここは 「職人坂」 と呼ばれています。
職人坂

その坂を上りきると、右側は水天宮への道。
水天宮へ

水天宮!!
どうしても行きたかったんだけど、ものすごい風と、小樽築港から新南樽市場までの長~い道のりに疲れ切って、諦めました。
あーあ、年は取りたくないわ。

さて、進路を左にとり、函館本線の線路を渡ると 「はなぞのはし」
線路

すると、ミツウマのアーチが迎えてくれます。
みつうま

この辺りは、しょっちゅう母と姉と一緒に行き来していた所。
このお店は、昔 「福助」 を扱っていた衣料品店でした。
建物が、そのまま残っているのよ。
福助

そこから花園銀座に入ります。
特筆すべきは 「工藤書店」 の閉店。
工藤書店

こんなお知らせが貼ってありました。
挨拶状

小樽で育った人なら、誰でもお世話になったはずの書店。
あの伊藤整も、ここに出入りしていた、老舗中の老舗です。
本当に残念だわ。

こちらは、馴染み深い喫茶店 「コロンビア」
コロンビア

中に入って、ホットココアをいただきました。
昔とちっとも変っていません。
こんな喫茶店、今やなかなかありませんよね。
もっと広いんだけど、お客様がいて撮れませんでした。
小樽でゆっくり休みたかったら、コロンビア、お勧めですよ。
コロンビア内部

帰省旅行その1 「喜来登」と小樽と 

無事に帰ってまいりました。
行ってみると荒れ模様 、帰ると同時に晴れ 
ついていない私でございます。

去年と全く同じ、着いたその日に狸小路6丁目へ。
ハイ、これを食べに行きました。 
「喜来登」 の味噌ラーメン 
  ↓
きらいとらーめん

相変わらず美味しいんだけど、絶対にこれだけは言える!
去年より、量が多い!!!
去年は母もペロリと完食だったのに、今回は私でさえも食べきれなかったぁぁぁー
スゴイぞ、喜来登。



そして翌日、念願の小樽へ。
朝起きると札幌は土砂降り 
ちょっとね、諦めようか・・・・って気持ちもあったのよ。
でも、せっかく帰って来たのに、小樽に足を踏み入れない訳には絶対に行かないもん。

すると、私の念力が通じたのか、小樽に近づくと雨が止んできたのよ
その代り、ものすごい風で、海は大荒れ。
その中を、フェリーが出航して行きました。
船は大揺れだろうなぁ。
フェリーと荒海

まずは小樽築港。
ここには、私が必ず寄る 「新南樽市場」 があるんですよ。
ここで、家へのお土産を調達するのが恒例なの。
相変わらず、生きの良い魚介類がワンサカ。
新南小樽市場

市場2

あれもこれも欲しいけど、ここは仕方ない、タラコ等だけど頼みました。
ここの良いところは、市場内なら、違うお店の品も同梱してくれること。
私は深沢肉店の燻製を入れてもらいました。

それから向かったのは、南小樽駅前の、このお店。
以前にもブログに載せた 「砂場」 です。
すなば

一応メニューを見て
すなばメニュー

まあね、最初っから決めてたんだ。
大きなエビ天が乗った 「天ぷらそば」 ね。
ここは、「田舎蕎麦か更級蕎麦かどっち?」 って聞かれるので 「田舎蕎麦ー!」

天ぷらそば
ちょっと写真の向きがおかしいけど、揚げたての特大エビ天がジュウジュウいいながらやってきました。
お汁も美味しいし、もちろんお蕎麦も美味しい。
満足満足 

すみません。
まだまだ小樽は続くんだけど、あんまり長くて今日のところはこの辺で。
最後におまけで、喜来登の後に立ち寄った、北海道庁の見事な姿をご覧ください。
道庁2

道庁

ちょっと奥さん、北海道は寒いんですってよ

来週、帰省します。

楽しみ楽しみ♪

昨日書いた、モスグリーンのTシャツも、帰省用の精一杯のお洒落 

その他、手持ちの服をあれこれと組み合わせ、2日目はこれ、3日目はこれ、っていう具合に段ボールに詰めてるの。
こういう時間が楽しいのよね。

ところが、天気予報&実家からの電話によると、雨でジメジメしてて本当に寒いんだって。
蝦夷梅雨っていうんだって。

そんなぁ。
北海道には梅雨は無いはずでしょう???
蝦夷梅雨とかって、そんなの聞いてないよ 

だって、気温が15度とかなのよ。
いくらなんでも、寒すぎでしょう。

今日の佐久は30度で、太陽ギラギラ 
当然私は、真夏モード。

段ボールに詰めた夏服を恨めしく見つめ、それでもどうしても着たいからシャツをヒートテックにしてみたり、腕カバーを入れてみたり。

小樽をどういう道順で回るかも、大体シュミレーションできたし、札幌でどこに行くかも決まったし、後は何とかお天気が回復して暖かくなってくれるのを祈るのみ。
それにしても、段ボールひと箱が全部服って、どういうことかね。


私の中学校が・・・・

私が卒業した中学校は、今から数十年前に閉校。
その後、お隣にある私立高校の付属中学校になっていました。
住吉中学校


今日、小樽の事を細かく書いて下さってるブログ様を読むと、何とその私立中が募集を停止するんだそうです。
何でも、発足当初から定員に満たず、今年は最低だったとのこと。
これでは仕方ありませんね。

でも、あの思い出の校舎はどうなってしまうんでしょう。
盛大な落成式に、桜陽高校の合唱部が来て、素晴らしい合唱を聞かせてくれた校舎。

思い出すと、最上階にある体育館から、避難訓練で太い布の筒みたいなシューターを外に落とし、一人一人降りる訓練をした思い出も。
シューターは垂直に落ちて、そこに飛び込んで行くわけ。
今思うと、ものすごく怖かったはずなのに、周りが何も見えなかったので、平気で滑り降りたの。

私はクラスで一番チビで、前のクラスの1番大きな男子がシューターに吸い込まれていった後、スタンバイしていたら、いつまで経ってもゴーサインがでない。

あれ?と思ったら、前の男子が途中で引っかかっていたのよね。
確か、消防団の人がシュートをバフバフと揺すって彼は無事落下 (← こんなもんかい!) いよいよ私の番。
途中で止まりもせずに、無事に着地しました。

色んな思い出が詰まっている校舎、今度帰ったら、また見に行こうかしら。

子どもの頃、深~く後悔したこと3つ

小樽での小学校時代の頃、(こんなことをしなきゃよかった。。。。) とい深く後悔した事が3回あったの。

1回目

多分小3くらいの時、校庭の片隅にある鉄棒でのこと。
当時、膝の裏に鉄棒を挟み、下にブランとぶら下がるのがクラスで流行っていたの。
チビでドンくさかった私はそれが出来ず、それでもチャレンジしてみたかった。
人に見られるのが恥ずかしかったので、放課後に誰もいない校庭で思い切ってぶら下がった私。
そして、真っ逆さまに下に落ちました、 ブギュッ!
頭と顔を打って痛かったのよ~、
こんなことやらなきゃ良かったって、深~く後悔。


2回目

やっぱり小学校の時、姉とその友人たちに混じって、あるものすごく急な坂の横の崖を上り始めたの。
それが急なんてもんじゃない!
私は先にどんどん登ってゆく姉達のお尻を見ながら
ヤモリみたいに崖に張り付いたまま泣きそうになっていた。
あ~あ、なんでこんな事始めちゃったんだろ。
深~く後悔。
その坂は小学校の近くで、今は 「赤坂」 という名前で知られ、舗装はされたけれども、相変わらずの急坂みたい。


3回目

当時、夏休み期間に水泳講習会があり、近くの蘭島海水浴場へ汽車で通っていたの。
鄙びた駅から海に向かう道すがら、トマトが成っている畑があったのね。
みんな、赤く実ったトマトをいただいて、丸かじりしながら歩くのがブーム。
正直言って、生のトマトが大の苦手だった私。
だけど、みんながあんまり美味しそうに食べるから、(もしかしたら、本当に美味しいのかも・・・) と思って、目をつぶる思いでガブっとかぶりついた。
その途端、 
あー、止めときゃ良かった。やっぱり超美味しくない!
だけど、今度ばかりは頂き物だし、食べかけのトマトなんて友達に上げる訳にいかないし、文字通り必死になって食べ終わった。
それ以来、今に至るまで生のトマトは苦手。

小樽っていうと、あの深い後悔にとらわれた時のことが忘れられないのよ。
何でも、3回痛い目に遭わないと懲りない性格は、昔からだわ。

「あずましくない」 のは嫌だよ~

なんと! この私が銭太鼓を演じることになりました。

曲は 「てんてんてまり」

♪ てんてんてんまり てんてまり~  てんてんてまりの てがそれて~ ♪  っていうあの歌。

先生役の方が仰るには、これが一番簡単なんだって。

この日はちょっとした集まりがあるんだけど、ちょうど昼食時間だからと、オードブル盛り合わせを頼もうってことになって。

だけど、私は言いたいの。

盛り合わせって、ハッキリ言って私みたいな遠慮深い人間には、本当に取りずらいのよね。
1人1人前ずつの物が無いと、最後まで空きっ腹のままで終わっちゃいそう。

そういうのって あずましくないのよね~ 

そう言おうとして、ハッとした私。
北海道民の私には 「あずましくない」 は当たり前の言葉だけど、これってバリバリの方言なんだわ。

この言葉を共通語では・・・・  ええと、なんて言えば良いの??


「あずましい」 = 「落ち着く」 「気が張らない」 「ユッタリできる」 「安心出来る」

「あずましくない」 = 「落ち着かない」  「気が張る」 「ユッタリ出来ない」 「安心できない」

こんな感じかな。

もっと他に、 これはそんな意味じゃない! こうだろう!!! って方もいると思うんですよ。

移民で出来ている北海道のことだから、日本のどこかに同じ言葉を使っている所があるかもしれないですね。

それはそうと、私の 「あずましくない」 気持ちが通じたのか、一人ずつのお食事も頼むことになりました。
ああ、良かった~♪

観ましたよ! 鉄腕ダッシュ in 小樽

昨日午後7時、TVの前でスタンバイ。
いよいよ 「鉄腕ダッシュ」 小樽市でご当地PR!ソリで名所坂を下る! の始まりです。
ワクワク 

これから先は、例によって番組をご覧になった方しか分からないかも。
申し訳ありません。



番組が始まると同時に、いきなり小樽PRコーナーが始まりました。
まず、城島さんと山口さんが、木製のソリ製作のお手伝いです。
立派なソリが出来上がりました。
小さい頃、こういうソリは、小樽のあちこちで見られたんです。

さて、1番目の坂は 「一尊庵の坂」
この坂は、残念ながら私は知らないんですよ。
港の景色が良く見える坂でした。

2番目は 「五百羅漢の坂」
ここは任せて下さい! バリバリ私の守備範囲です 
何しろ、この坂の途中の学校に通っていたんだもの。
母校も出てきて大感激。
すぐ前にあった先生御用達のお蕎麦屋さんは、コンビニになってました。

ここは、近所の皆さんの声援を受けて、城島が滑りました。
最後に 「龍徳寺」 というお寺さんにゴール。
ここには、日本最大の木魚があり、お坊さんが叩いてくれました。
そこまではさすがに知らなかったわ。

そして3番目の 「水天宮の坂」 です。
ここはもっと任せて  
ここは私の家のすぐ近だったんだもの
何度も上っていた、ものすごくキツーーイ坂です。
ここは余りにも傾斜が急なためでしょう、途中から滑っていました。
夏に頂上から見た坂です。
今の私じゃ、とっても無理だに~

水天宮から相生町へ

小樽の皆さんの応援や、可愛い 「運がっぱ」 、美味しいお寿司や熱々の あんかけ焼きそば。
どれをとっても、本当に懐かしくて嬉しい企画でした♪
鉄腕ダッシュさん、城島さん、山口さん、小樽を取り上げてくれて本当に有難うございました。
ぜひとも、泊りがけで小樽に来てくれるお客さんが増えることを、心から願っています。


日曜日の 「鉄腕ダッシュ」 に、小樽が出ます!!

今度の日曜日 2月7日に 「ザ!鉄腕!DASH!!」 の  

「DASH ご当地PR課 ~北海道小樽市 冬の坂道をソリで滑ってPR~」

で、TOKIO の城島さんと山口さんが、木製ソリで小樽の坂を滑るそうです。

これは絶対に見なければ!!

皆さんも、お時間があればご覧になって下さい。

最近、小樽がTVで取り上げられることが多くて、本当に嬉しいです ♪

2016年02月04日 | 小樽 | トラックバック(0)件 |
プロフィール

万見仙千代

Author:万見仙千代
出身は北海道、長い首都圏生活を経て、ただいま信州在住です。

愛護団体出身で、多分12才になるすず、2011年3月11日に保健所からやって来て家族になった、年齢不詳のまりの2ワンコの散歩を中心に、1日が回ってます。(まりは10月25日永眠しました。家へきて、たった7か月と2週間の生活でした。)

何をするにも、まず散歩から!
散歩は健康の秘訣です。

リンクはお気軽に。

過去記事へのコメントも大歓迎です♪

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