去年、今年と文学史上で驚いたことがあった。
まず去年は、太宰治と松本清張の生誕100年であったこと。
これには驚いた。
学生時代から、太宰治は文学史上の重要人物であり、すでに歴史的人物だった。
かたや松本清張は、私が大人になった時点でも新聞に連載を持ち、大活躍していた現役作家だったので、この2人が同い年とは到底思われなかったのだ。
太宰治も松本清張も、一時期夢中になって読んでいた作家だったので、驚きもひとしおだった。
太宰で一番好きな作品は?と問われれば、やはり「津軽」だろうか。
あの作品につられ、金木の太宰の実家まで泊まりに行ったのも、なつかしい思い出だ。
私が泊まったのは、2階にある元応接室だった。
金ぴかの部屋に絨毯、そこに布団を敷いて寝る、という奇妙な体験だったが、あの時にしか味わえない体験ではあった。
太宰といえば、三鷹が終の棲家だったわけだが、三鷹には私の親戚が住んでいて、行こうと思えばあの頃まだ残っていたかもしれない太宰ゆかりの建物も玉川上水も行けたのに、ついぞ訪れる事もなかったのは本当に悔やまれることだ。
おまけに、今年は斜陽日記ゆかりの「大雄山荘」(斜陽日記を書いた太田静子が暮らしていた山荘。そこへ太宰が訪ねて行き、静子が書いた斜陽日記を元に≪斜陽≫が書かれた訳だ)が不審火で焼けてしまった。
ここも友人と「1度行ってみたいね」と話していた所だったので、遅きに失してしまった。
人間、これをやりたい、ここに行きたい と思ったら、迷うことなく行動することをお勧めする。
松本清張の作品で強く印象に残っているのは「黒い福音」
これは戦後すぐに起こった、スチュワーデス殺しを題材にした推理小説だが、事件の現場や状況など事実に即して書いているので、非常に興味を持ち、地図を片手に歩いたりしたものだ。
これに限らず松本清張の作品の中には、事実を小説化したものが多く、非常に興味をそそられるものが数多くある。もとよりあくまでも小説であり、事実そのものではないのだが、こういうジャンルを確立した第一人者だと思う。
そして、今年の文学史上、最も驚いたこと。
「蟹工船」の小林多喜二の永遠の恋人、田口タキさんが亡くなったことだ。
小林多喜二も私が学生時代には既に文学史上の人で、おまけに私の故郷 小樽の出身であり、当然のこととして田口タキさんもとうの昔に亡くなってしまった人だと勝手に思っていた。
私は田口タキさんのことを思うと、作家として一世を風靡したような人間とかかわりを持ってしまった女性の複雑な立場を考えざるを得ない。
小林多喜二と知り合ったがゆえに、彼女の写真も(その美貌!)その決して明るいとは言えない過去も、全て白日のもとに曝されることになってしまったのだから。
今だったら週刊誌が大騒ぎし、あることないことまで書き立てられてしまっただろう。
彼女は多喜二と結婚することはせず、ひっそりと生き抜いて家庭を持ち、ひっそりと亡くなったのだ。
できることなら誰にも知られることなく、静かな生活を望んでいたかもしれないのに、未だに「小林多喜二全集」には彼女の写真も彼女の生い立ちも、隠すことなく載せられている。
そういう自分を、タキさんはどう思って生きたのだろう。
時には彼女の話を聞きたいという人も現れたようだが、彼女は固く取材を断ったようだ。
でも心の中には、作家 小林多喜二の作品に生き方にも影響を与えたというプライドを、ほんの少しでも持っていたのだろう。
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