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本・音楽・ペット・合唱・その他色々、書いていこうと思っています♪

佐久長聖高校の両角先生

今朝の新聞に、「両角(もろずみ)佐久長聖監督退任 東海大学の監督に就任へ」 というデッカイ見出し。
ええええーー??! と読んでみると、両角先生の出身大学は東海大学。今年、成績が振るわなかった母校を見た事と、同じ東海大出身の柔道の山下さんなどからも頼まれて決心したようだ。

佐久長聖高校駅伝部とは(勝手に)浅からぬご縁がある。
佐久に引っ越して間もない時、犬と一緒にあちこち探検して歩いていて、とある不思議な空き地を見つけた。

かなりの広さがあるその空き地には、周りにオートレース用のコースみたいな道があり、真中は芝生広場、外周の緑地にはどういう訳か山羊が数匹放し飼いにされ平和に草を食んでいる、犬の散歩には最適な空間だった。

何度も通ううち、午後4時頃になると細身で華奢な体のお兄ちゃん達が何人も走ってきて、そのコースを回り始めるのが分かった。みんなコースの入り口できちんと一礼し、私のような赤の他人にも 「こんにちは!」 と大きな声で挨拶してくれる。それが、佐久長聖駅伝部との出会いだった。

後で聞くと、そのコースは両角先生がコツコツと手作りされた道とのこと。犬は入っちゃいけない!などと、どこかの公園みたいなケチな事は一切言わない、心の広いコースなのだ。

両角先生が佐久長聖高校に来た時、駅伝部はまったく無名で、みんなの理解を得るため先生自ら色々なレースに出場して高校の名前をPRした、と前に読んだことがある。

そして、今年の箱根駅伝は佐久長聖高校のためにあったようなものだった。佐久長聖出身の選手だけでチームを作ったら、ぶっちぎりの優勝だったのではないか。その選手たちを一から作り上げていったのが、両角先生だ。

思い起こせば数年前、雪が激しく降り前も見えない様なある日、私はまた犬を連れて件の空き地に行った。するともう両角先生がいて、小さな除雪機で雪かきをしているではないか! それもたった一人で。
その姿には本当に感銘を受けた。

だって本当に大雪で辺り一面真っ白で、コースも全然分からない位だったのだもの。そんな日に犬と散歩する自分も褒めてやりたいけれど、両角先生はもっとスゴイでしょう?
この先生の姿が、ああいう立派な選手たちを育て上げた訳だ。東海大学へ行っても、素晴らしい選手たちを育て上げるに違いない。

来年の箱根駅伝では、東海大学を応援しよう。それと、今年シード権争いでかなり箱根駅伝を盛り上げた國學院大学は我が子の母校なので、そっちも応援しなければ!


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なんちゃって体育会系のツケ

高校時代、部活の女子5人で固く誓いあった事があった。

真っ黒に日焼けして、笑うと白い歯がつややかに光り、オレンジ色のヨットパーカーの似合う素敵な女子になろう! オレンジって小麦色の肌に合うんだよね!!

目標に近づくべく、部活の時には日焼け用オイルを塗りたくり、暇さえあればゴロゴロと寝転がってお日様に当たるようにした。

その甲斐あって全員真っ黒になり、歯しららかににうち笑みて、カッコいいパーカーも注文し、皆で悦に入っていたのだ。私のいた部活はヨット部だった。

今思い出しても、楽しくて爽快な最高の部活だった。
海は私の故郷だーー!

高校卒業の直前、学校側の配慮で 「お化粧講座」 が開かれ、美容部員さんが学校に来てくれたのに、なんちゃって体育会系の私たちは、「ふんっ 化粧なんて軟弱な事、誰がやるもんか!」 と、その千載一遇のチャンスをみすみす見逃してしまったのだった。

そして何十年後の今、その頃のツケはちゃんと回ってきた。
メラニン色素は私の皮膚にしっかりと食い込み、いくら美白化粧品を使ってもちっとも効果がでない。 カネボウに走り、資生堂に走り、今度はコーセーに走ろうかと思っている。

やっても効果のほどは期待できないけど、これはもう麻薬みたいなものかも・・・

もう10年くらい早く手を打てば、もう少しは何とかなったのだろうか。鏡を見ながらため息をつく毎日だ。

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小説帝銀事件

帝銀事件を知ったのは、学生時代に読んだ松本清張の 「小説帝銀事件」 からだ。偶然にも、私がその頃住んでいたアパートの最寄り駅が、西武池袋線 椎名町駅だった。

帝銀事件とは、終戦後すぐのある冬の日、豊島区椎名町にある帝国銀行椎名町支店に男が現れ、行員をだまして毒薬を飲ませ、12人もが殺害された、という大事件だ。

私は例によって本を持って、椎名町近辺を歩きまわった。
たまたま、結構新しい家の前を通った時、前から来た老夫婦のご主人が 「ここが帝銀のあった所だ」 と奥さんに話していて、初めて現場が分かった。あんな惨劇のあった場所も、時が流れると新しく家が建ち、普通の生活が営まれていくんだ、というのがその時の感想。

犯行に使われたピペットなどを捨てたという長崎神社は、駅のすぐ近くだったし、事件後、最初に警察に通報した商店もたしかに存在していた。(鴨下商店だったような)

この 「帝銀事件」 は知れば知るほど興味が湧く事件だ。
第一に、犯人とされた平沢貞通は、なんと私の高校の先輩だったのだ。
あまり自慢になることではないから、学校では全くそんな話は聞いたことが無いが。

平沢貞通が真犯人だったのかどうかは非常に疑義があり、だから歴代の法務大臣も死刑執行の決断を下せなかったのだろう。平沢にとって一番不利だったのは、事件後彼に帝銀から奪われたのとほぼ同額の出所不明の金額が入っていることだった。彼はその詳細を話そうとしなかった。

それと自白とが黒の決め手になったのだが、具体的な証拠は何も出なかったのだから、今なら明らかに無罪になっただろう。そもそも警察が最初に怪しいと睨んだ731部隊の生き残り説は、どういう訳か途中から捜査がぴったりと止まり、一介の画家の平沢に集中していったのだ。

どちらにしてもテンペラ画という画法の第一人者で、毒薬の知識など何もなかった平沢にそんな事件を成し遂げる事が出来たとするのは、かなり無理があると思う。
しかし警察が(お上が)犯人ではないかと目をつけた以上、当時の世論は平沢黒説が多分圧倒的だったのだろう。

今も昔も日本人はお上の発表には弱い。警察は取り調べの始まる前からあたかも真犯人のごとく発表し、新聞はそれを載せ、人々は憎むべき犯人は平沢だと思いこんでしまったのだ。

そして今も警察・マスコミ・世論の関係は、この頃とちっとも変っていない。
同じ事が相変わらず繰り返されているのだ。だから私は常に冷静に物事を判断出来る人間にならなければいけないと思うのだ。いつ裁判員に指名されるか分からない時代になったのだから。

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佐久市立浅科図書館

先日、佐久市立浅科図書館に行ったら、三角寛著 「サンカ社会の研究」 があったので借りてきた。
これは復刻版なのだが、定価がなんと5000円!!
絶対に個人では買えない金額なので、こういう本を置いてくれる図書館に感謝感謝だ。

サンカとは、多分戦前くらいまで日本の各地にいた、一か所に定住せず山の中や川沿いにテントを張り、箕直し・箕作り・川魚売りなどをして暮らしていた人々の事で、定住する事を当たり前としていた一般社会からは、不可思議な、一種アンタッチャブルな存在として畏怖の念で見られていたようだ。

全く一般の人々と行き来していなかった訳ではなく、農民の方も彼らの箕や川魚を買い、サンカはそのお金で生活に必要な物を揃えたようだ。

その後、国の政策もあって定住化が進み、サンカの人々は一般の生活に入って行き今は存在しなくなったのだが、昔そういう生活をしていた人々が確かにいたことは一つの魅力となっていて、サンカファンは結構いるのだ。

この本にはかなりの量の写真が掲載されている。

三角寛という人は、サンカで大儲けしたというか、「サンカもの」 と言われる奇想天外な伝奇小説をたくさん書き、それで名を成した人なのだが、それが仇となり、今では際物書きみたいなレッテルを貼られている。
この写真も専ら ”やらせ” だと言われているのだが、それにしては大掛かりというか、これが本当にやらせだとしたら、結構大変な作業だったのではないか。
私が見た感じでは極く自然に撮られていて、あまりやらせ臭はしないのだが。


この本を置いていた浅科図書館は、元々佐久市ではなくて浅科村という独立した村の図書館だったのだが、平成の大合併で佐久市に併合された。図書館や日帰り温泉施設、ホールなどが一か所に固まっていて、どれも木の香りがするような立派な建物。本も佐久中央図書館とはちょっと違う品揃えで面白い。

佐久市には他にも、旧臼田町立だった図書館があるので、今度はそちらにも足を伸ばしてみたい。
図書館にも、収納されている本を選んだ人の個性があると思うので、違う世界が開けるかもしれない。


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島崎藤村の家と佐久

佐久市前山の貞祥寺の境内に、島崎藤村が小諸時代に住んでいた家がひっそりと建っている。
小諸といえば藤村、藤村といえば小諸。
両者は切っても切れない縁だと思っていたので、その記念となる家が佐久にある事に、驚いた。

藤村は明治32年、小諸にあった 「小諸義塾」 の英語の教師として妻とともに赴任した。
それから6年の間、小諸市馬場裏にあった家で暮らし、明治38年、書きためた 「破戒」 を出版するべく東京に戻って行ったのだ。

その間、有名な 「小諸なる古城のほとり」(千曲川のスケッチ) を発表し、今でも小諸市では藤村文学賞を設けたり、藤村の住んでいた馬場裏近辺を 「藤村プロムナード」 と名付け、観光の目玉にしている。

私も勿論、藤村の足跡を期待して小諸に行った。すると、驚いたことに 「藤村プロムナード」 にあるのは、綺麗にブロックを敷き詰めた道と、藤村一家も使ったという井戸だけだった。

「これだけかい?!」 と驚く私。

その後、佐久市の観光パンフレットを見ていると、ごくさりげなく 「貞祥寺 藤村の家が移築されています」
という一文が目に止まった。
家からそう遠くはない所にあるそのお寺に早速行ってみると、境内に入った石段の脇にその家は建っていた。
中には近所のおばさんが交代で詰めているのだろうか、囲炉裏に火が入れられ、観光客を迎えてくれる。

この家は藤村一家がいなくなってからも色々な人が住み、ある時、佐久市前山の人に買い取られ移築され使われた。その後、由緒ある家だと言うので佐久市に寄贈され、ここ貞祥寺に移築された訳だが、そのおばさんが話してくれる事には、
「ある時、佐久市から小諸市に、この家は藤村が住んだ記念の家だからそちらにお返ししましょうか?と申し入れた。すると小諸市は理由は分からないが、それを断って来た。」

そのおばさんの話には、暗に 「せっかくの申し入れを断った小諸の気がしれない。もう返してやるもんか」 という気持ちが込められていると感じたのだ。私が思うに、その話はそれきりになり、佐久に藤村の家があることを知っている人は余りいないのではないだろうか。

佐久市の偉いところは、 「ここに藤村の家があるんだよ~」 と大々的に宣伝する気がまったく無いことだ。
多分、小諸市が断った話も、あの家の世話をしている人やその他極く一部の人達にしか、知られていないことなのだろう。


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長野県 佐久の風習 2.

・葬儀の習慣 (灰寄せ)

昨年、初めてこちらでの葬儀に参列した。
個人的な参列ではなく、とある団体の代表としての参列だったが、一緒に行った方の話を伺うと、色々それまでの私の常識とは違っていて驚いた。


まず、個人で参列する時、お香典は千円か1万円に決まっているとの事。
故人と一般的な付き合いの人は千円を包み、その人達はお焼香が終わったら、すぐに退出する。
故人と特に親しかった人は1万円を包み、式場の席に座って最後の儀式まで残る。
それを 「灰寄せ」 という。
「灰寄せの席」 とは、葬儀が終わった後で、飲食する時の席のことだとの事。

但し、1万円を包む人、つまり 「灰寄せ」 までいる人は、遺族から前もって知らされていて,それ以外の人はお焼香より後は参列してはいけない。

色々聞くと、どうも「生活改善運動」とかで、金額を千円と1万円に統一するようになったらしい。昔は金額が決まっておらず、結構負担が大きかったのかもしれない。

最初はちょっととまどったが、良く考えると非常にハッキリしていて合理的である。
この 「灰寄せ」 という言葉は、佐久独特のようだ。



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長野県 佐久の風習 1.

北海道に生まれ育ち、東京周辺で30年余を過ごし、佐久に越して来てから丸3年。
日本は狭いようで広い と実感する毎日です。
身の回りで気付いた事を、少しずつ書いていこうと思います。


① 8月1日は、お墓参りの日 (戌の満水)

娘の職場の人が 「8月1日には、お墓参りに行く」 と話していると聞いて、驚いた。
調べると、深い理由があったのだ。

今から269年前の寛保2年 (1742年) 旧暦8月1日、千曲川流域を大洪水が襲った。流域全体で亡くなった人2900人程、その他、流失田畑の被害も合わせるとものすごい大災害だった。
佐久地方の人達はその慰霊のため、いまでも8月1日にお墓参りをする、という訳だ。
会社の中には、その日を休日にしている所もあるらしい。私が来てからは、たまたま土日に当たる事が多いような気がする。

以下は、所属している郷土史研究会で読んだ小諸藩での様子だ。それによると、

「寛保2年7月28日より大雨、翌29日の夜10時過ぎより川が満水、与良町の橋が流出した。翌8月1日は晴天だったが、浅間の前山続きの山が崩れ、大水がでた。辰の中刻 (今の午前9時頃) 北の山の方が振動し次 第に強くなり、俄かに曇り暗闇になった。六供 (ろっく 町の名前) の成就寺の上より高水 が押し寄せ、 本町・六供・田町辺りを押し流し、追手門へ水が入り足柄御門も三の御門も押し流し・・・云々」

と、要するに何もかも押し流され、大被害をもたらしたのだ。
この大災害は寛保2年壬戌の年に起こったので、「戌の満水」 と呼ばれている。

小諸に行った時、氾濫したという中沢川を見てきたが、深い用水路、といった感じの小さな川で、この川が溢れて大災害をもたらしたという事が信じられなかった。
ただ小諸の場合、町全体が斜面上にあるので、上の方から水が押し寄せたらひとたまりも無かったのだろう。

しかし269年も前の災害を忘れず未だにお墓参りをしているなんて、佐久地方の人達の傷の深さと信心深さをつくづくと感じたのだ。尚、被害に遭ったのは佐久地方だけでは無いのだが、他の地方でこの風習があるのかどうかはちょっと分からない。善光平では行われているようだが。

もうひとつ
こちらに来て感じたのは、名前に「袈裟」のつく方が多い事。例えば 「袈裟義さん」とか 「袈裟恵さん」等というように。これも信仰が深く根付いている事をを示す一つの表れではないかと思うのだ。


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ポーの一族

萩尾望都さんの名作漫画 「ポーの一族」 を知っている方はおられるだろうか?
エドガー、アラン、メリーベルを中心に、何百年にもわたって生き続けるバンパネラ(バンパイア)の物語。

西洋に伝わる吸血鬼(バンパネラ[12])伝説を題材にした、少年の姿のまま永遠の時を生きる運命を背負わされた吸血鬼エドガーの物語。成長の代償に失うもの、大人になれない少年の姿が描写されている。200年以上の時間が交錯する構成で、舞台は18世紀の貴族の館から20世紀のギムナジウムまでさまざまである。作品発表当時としては異色の作品であり、少女漫画の読者層を増やした作品であると評価されている
(wikipediaより)

検索をかけると、山のように出てくるので、是非1度調べてみていただきたい。

昔、秦の始皇帝は不老不死の薬を探すため、徐福を日本に遣わしたという。
「不老不死」 
昔、何気なく聞いていたこの言葉は、「ポーの一族」を読んだ時から ”本当に辛い、自分だったらとても耐えられない” ことであると気付いた。

時を超え、いつまでも同じ年齢のまま、何百年もの間生き続ける苦痛。
その間、どんどん過ぎ去ってゆく回りの人々。同じ所にも居られず、時空を超えて旅は続いて行くのだ。
最愛の妹を殺され、寂しさの余り仲間に引きずり込んだアランも消え失せ、エドガーはあの後どうなったのだろう。

それでもエドガーに 「おいでよ、君もおいでよ。一人では寂し過ぎる」 とか言われたら、ホイホイとついて行くかもしれない。
この漫画に魅せられた人は、必ず ”夜寝る時窓を開けてエドガーが来てくれるのを待った事がある” という話を読んで、思わず 「うんうん」 とうなづいてしまう。

この漫画を教えてくれたのは、職場の友人だった。
あまり漫画には興味の無かった私だが、 「ポーの一族」 にはすっかりハマってしまった。
萩尾先生の絵もさることながら、何と言ってもストーリーの面白さ、雰囲気の素晴らしさに夢中になってしまった。ギムナジウムもマザーグースも、この漫画で初めて知った。

後年、図書館でこの本を見つけた時の懐かしさ。
フラワーコミック版の 「ポーの一族」 は、人気を物語るようにボロボロだった。
何回も借り出して読んでいるうちに、悲しい事にその本たちは図書館から消えてしまった。修復が不可能になってしまったのだと思う。

こうなったら自分で買うしかない、と本屋に行くと、読みやすかったコミックサイズは無くなり、仕方なく特製文庫本サイズを買った。
その3巻の本は、装丁は立派でも絵が小さく持つにも重く、読みづらいったらないのだ。
それでも時々老眼鏡(泣)をかけ、夢中になって読む。すると、心はもう数十年前の自分に戻れるのだ。

萩尾先生、いつかこの続きを描いてくれないだろうか。


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プロフィール

万見仙千代

Author:万見仙千代
出身は北海道、長い首都圏生活を経て、ただいま信州在住です。

愛護団体出身で、多分16才になるすず、2011年3月11日に保健所からやって来て家族になった、年齢不詳のまりの2ワンコの散歩を中心に、1日が回ってます。
すずは、令和元年9月21日に永眠しました。まりは、2011年10月25日永眠しました。まりは、家へきて、たった7か月と2週間の生活でした。

一緒に歩く相手がいなくなってしまいましたが、散歩は続けています。
健康とダイエットのためです。

リンクはお気軽に。

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