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帰省の旅  「樺戸集治監」 に行きました

新十津川町記念館を出てから、今度は次なる目的地 「旧樺戸集冶監」 だった月形樺戸博物館へゴー!
ここも絶対に行きたかった所の一つだったんです。

札幌から新十津川に向かう道路沿いに残っている、樺戸集冶監本庁舎。
今は 「月形樺戸博物館」 として見学できます。
1かばと

かばと3

樺戸集冶監は、明治14年、北海道最初の監獄として主に政治犯などを収容するために作られました。
この地を選定したのが、初代典獄 月形潔。
彼の名前をとって、この地は月形と名付けられたそうです。

樺戸集冶監と言えば1番有名なのが、本庁舎に残されたこの石段。
いしだん2

余りの磨り減り方に、「足に重りを付けられた囚人が行き来したから、こんなに磨り減ったのだ」 という説が広がったようですが、ここは事務を取り扱う本庁舎で、囚人はここを通らなかったそうです。
それにしても、この磨り減り方は石が柔らかかったせいでしょうかね。

本当に残念なことに、ここは内部撮影はNGで写真がありません。
中には色々興味深い展示がいっぱいあったのにぃ~~
足に4Kgの鉄玉を付けて歩いてみるとか、囚人たちが枕にした丸木を叩いて起されるのを体験できるとかね。

当時の明治政府は、囚人を人間と考えておらず、とにかく過酷な労働を強いたようです。
死ねば代わりはいくらでもいる、という考えだったんでしょう。
移動の時には編み笠を被せられ、赤い着物を着せられ、足には鉄丸という重しを付けられました。
もちろん、内役という監獄内労働もあったとのこと。
外役は主に道路開削で、北海道の開拓は囚人労働あってのものだったんですね。
今の三笠市から旭川までの上川道路、樺戸集冶監と空知集冶監を結ぶ峰延道路の開削は、困難を極めた工事だったようです。

当然、囚人たちは、あまりの重労働にバタバタと倒れて行きました。
集冶監から少し離れた所に囚人墓地があったけれど、残念ながら立ち寄る時間がありませんでした。

そうそう、この集冶監には、新選組の永倉新八が剣術師範として赴任していたそうです。
また囚人の中には、武州秩父で起きた 「秩父困民軍」 の受刑者もいました。
秩父で生活に困窮した彼らは上州に動き、上信県境の峠を越えて佐久方面に攻め入り、結局、南佐久郡馬流という所で政府軍に負け、殺されたり捕縛された人がいたんです。
こんなところで、北海道と佐久の関係があったなんて、思いもよりませんでした。

この集冶監については、調べれば調べるほど書かなければいけない事がたくさんあるんですが、私ではとても全ては書ききれません。
吉村昭氏が 「赤い人」 という本を書いていらっしゃるので、ぜひお読みになってみて下さい。

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コメント
sheepさん
こんばんは。

樺戸集冶監、実は婚家のお墓参りの時に前を何度か通って、一度で良いから見てみたい!と思い続けてたんですよ。
そんなに詳しかった訳では無く、あの建物の姿が興味をそそったんでしょうね。
北海道の歴史の裏面ですよね。
あんなに大勢の囚人が亡くなったなんて。
道産子の一人として、心していかないとって思いました。
2015/07/20(月) 21:01 | URL | 万見仙千代 #YR4Ixzf2[ 編集]
No title
こんばんわ♪
さすが万見さま 帰省の旅
やはり行かれるところが違うわ
旧樺戸集冶監
ガイドブックをみても見過ごしてしまうかもしれません
ほんとに知りませんでした
>北海道の開拓は囚人労働あってのものだった
ほんとに厳しいものだったのでしょうね
2015/07/20(月) 20:42 | URL | sheep☆ #-[ 編集]
オコジョさん
こんにちは。

秩父事件の関係者は、なんと10人も収容されたんですよ。
そのうち3人は心臓麻痺で亡くなり、囚人墓地に埋葬されたそうです。
ちょうど道路開削工事の最中だったそうで、ものすごく厳しい環境だったんでしょうね。本当に気の毒です。
馬流の困民党の墓碑、行きたいんだけど、どうしてだろう中々行けないんです。
佐久甲州街道はいつも通っているのに。
おまけにこんなに暑くちゃ、とっても無理だし、寒けりゃ寒いで無理だし。
いつか必ず行ってきますね。
2015/07/20(月) 18:03 | URL | 万見仙千代 #YR4Ixzf2[ 編集]
おばちゃんさん
こんにちは。

北海道の開拓の歴史を知れば知るほど、悲惨なことが分かってきて複雑な気持ちになります。
あんな寒い所で暖房も無い監獄なんて、地獄ですよね。

今の犯罪者の守られ様は、一体どうなってるんでしょう。
被害者は、いつまででも顔も名前も晒され続けるのに、加害者は特に少年は絶対に顔も名前も出ない。
こんなの絶対におかしい!
2015/07/20(月) 16:48 | URL | 万見仙千代 #YR4Ixzf2[ 編集]
秩父困民党
樺戸集冶監は知りませんでした。
秩父困民党と関係があるのですね。

佐久、出身の作家、井出孫六さんには秩父困民党に関する著作が沢山あります。
今、井出孫六さんの「峠の廃道」を読んで、秩父困民党の足跡を訪ねて南佐久を歩いたことがありました。

佐久戦争の本陣のおかれた東馬流部落と近くの諏訪神社の「秩父事件戦死者の墓」「井出ジャウの墓」。そして戦いの舞台となった天狗岩の「秩父困民党散華の碑」や大日向村龍興寺など・・・

明治維新政府には金は無く破産寸前でした。富国強兵を掲げた政府は明治14年デフレ政策により日本経済を立て直します。農作物は価格が下落し、貨幣価値が上がり税金は相対的に重くなり、およそ前年の2倍の負担が農民に・・・
民権運動も圧迫され秩父では自由党員と、増税や借金苦に喘ぐ農民が困民党を組織、農民の危機を救おうと暴力行為を行わず租税の軽減・義務教育の延期・借金の据え置き等を政府に訴えようと蜂起し、そうはいきませんでした。
明治政府は西南戦争に準じた「反乱」として、参加者は暴徒として吸われていましたが、やむをえない「秩父農民の怒り」であったようですね。
秩父事件の参加者は、失敗すれば重罪と言うことは覚悟の上だったのでしょうね。

長々と、書いてしまいました。安倍政権の暴走を見ていると政府の力の怖さを感じます。
2015/07/20(月) 08:33 | URL | オコジョ #H6hNXAII[ 編集]
No title
昔は、理不尽なことで囚人となり死んでいった人が数多しでしょうが、
現代は、極悪非道な罪人の人権までもが守られ過ぎていると思います。
腹立たしいことです。
2015/07/20(月) 00:00 | URL | 佐賀のおばちゃん #-[ 編集]
トカ太さん
こんばんは。

「被害者に人権なし、加害者に人権有り」
これは全くその通り!!
おかしいですよね。
人権派と称する人がすぐに出しゃばってきて守るんだもの。
だから、自分の名前を隠して本を出版し大儲け、なんていう信じられないことも起きるんです。
もう腹が立って腹が立って・・・
あ、私も興奮してしまいました。

北海道に行かれた節には、樺戸博物館を見て、北海道の礎を築いてくれた多くの囚人に思いを馳せていただければ幸いです。
2015/07/19(日) 22:25 | URL | 万見仙千代 #mhqpDVpE[ 編集]
No title
これまた全く知らなかった場所なのですごく新鮮な気持ちで勉強になりました。

確かに政治犯に対してその扱いは酷いですね。
でも、現在の「被害者に人権なし、加害者に人権有り」という風潮もしっくりこないです。
相当に酌むべき事情が無い限り、厳罰か、精神的に追い込むくらいのことはして欲しいと思うのですが、今の日本の司法にはいろいろな輩が入り込んでいるようなので難しいのでしょうね。

おっと、人様のブログで記事内容から離れた持論をダラダラと失礼しました。

2015/07/19(日) 21:51 | URL | トカ太 #-[ 編集]
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万見仙千代

Author:万見仙千代
出身は北海道、長い首都圏生活を経て、ただいま信州在住です。

愛護団体出身で、多分12才になるすず、2011年3月11日に保健所からやって来て家族になった、年齢不詳のまりの2ワンコの散歩を中心に、1日が回ってます。(まりは10月25日永眠しました。家へきて、たった7か月と2週間の生活でした。)

何をするにも、まず散歩から!
散歩は健康の秘訣です。

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