本・音楽・ペット・合唱・その他色々、書いていこうと思っています♪

「佐久を吹き抜けた尊王攘夷運動の嵐」  於:望月歴史民俗資料館

昨日は、望月歴史民俗資料館でこんな催し物があり、行ってきました。
ちらし望月

特に昨日は、かすみがうら市郷土資料館の千葉隆司氏による 「尊王攘夷のさきがけ 水戸藩天狗党」 という講演があったので、ぜひとも聴きたいと思って。
資料館の方が思ってもみなかった大勢の人が集まり、椅子は足りない資料も足りないで、係の方は大変でした 
私も資料館前の駐車場には入れず、少し離れた望月役場に停めて歩きましたよ。
だけど、望月の街並みを歩いて、やっぱり歴史があるわと感じました。

この趣ある三階建ての建物は、出野屋旅館。
いでのや旅館

正面から見ると
旅館2
(犬神家の一族のロケ地になりました) と表示されてました。
調べてみると、なかなか評判の良いお宿のようで、中山道をゆっくり歩いてここで泊まる、なんていうのも良いんでしょうね。

さて、資料館です。
資料館

中の展示物は残念ながら撮影NG。
だけど、幕末の激動の中、水戸で挙兵した天狗党は、慶喜を頼って京を目指す途中、佐久を通ったんですね。
上州下仁田から内山峠を越えた天狗党 約一千名は、佐久に入って平賀に泊まり、野沢⇒下中込⇒桜井⇒八幡、そして望月に入って来たそうです。

入ってこられた望月宿は大変だったようです。
そりゃそうですよね、千名の武装集団が来たんだもの。
着いたのは、旧暦11月18日、今の12月の午後四時頃、一人につき250文を払う、という事で、宿内のほぼ全ての家に勝手に入っていったとのこと。
250文を払ったのは890名分ほど、残り300名は人足ということで払わなかったそうです。

天狗党が出立後、幕府に命ぜられた追討軍が次々にやってきて、その度に継立を命じられ、宿場から 「どうか、御籾を百俵を拝借願い上げ候」 と頼んでいる文章が、脇本陣の鷹野家に残っています。

幕府に命を受けた各藩、陣屋は全く闘う気が無く、その姿を見て人々は幕府の権威が衰えたのを実感したとのこと。
この後、敦賀で頼りにしていた慶喜が自分たちの追討に回ったことを知り、加賀藩に降伏。
加賀藩は彼らを厚遇したが、幕府の田沼意尊率いる幕府軍が敦賀に到着すると状況は一変、加賀藩から引渡しを受けるとただちに天狗党員を鰊倉(鰊粕の貯蔵施設)の中に放り込んで厳重に監禁し、藤田小四郎ら一部の幹部達を除く者共には手枷足枷をはめ、ひどい待遇をした。

この時捕らえられた天狗党員828名のうち352名が処刑され、この時の鰊蔵はいまでも保存され、往時の悲惨さを物語っているそうです。

この時処刑された352名は、靖国神社に祀られているそうですよ。
靖国神社というと、太平洋戦争の戦死者が祀られていると思っていたけど、天狗党の隊員も祀られているんですね。
全然知りませんでした。
一度に350名もの人々が祀られているのは、天狗党だけだそうです。

幕末の動乱期には、天狗党、天誅組、赤報隊などが現れたけれど、どれも悲惨な運命を辿ったんですね。
歴史の大転換点って、どうしても血を必要とするんでしょうか。
酷いことです。

望月って、色々と興味深い展示や講演会を催してくれて、本当に努力をされているなと感心してるんですよ。

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コメント
つねまるさん
こんばんは。

過去記事へのコメント、有難うございます!
天狗党の鰊蔵、見られたんですか。
それも日没後・・・・
ウーン、それは何ともねぇ。
本当に悲惨な状況だし、敦賀の方達もさぞかし嫌だったでしょうね。
自国の領地であまりにも悲惨な事が行われたんだもの。
天狗党に関しては、本当に色々書かなきゃならない事があるんだけど、何しろ膨大過ぎて私の能力を超えてるのよ。
水戸にも、天狗党関係者の処刑の地があるというし、司馬遼太郎が、水戸藩内での陰惨な殺し合いが嫌で書きたがらなかったと読んだこともあります。
諏訪に抜ける途中には、「水戸浪士の墓」っていう案内板も見たことがあるし、天狗党と信州は繋がりがあるんですね。

2015/10/08(木) 22:42 | URL | 万見仙千代 #YR4Ixzf2[ 編集]
天狗党
こんにちは。いつもお世話になっております。すみません、過去記事にお邪魔します。
天狗党が幽閉された鰊蔵のひとつが敦賀の松原神社にありまして。
気比の松原の近くですし、敦賀港へ行く途中に立ち寄ってみました。
みました・・・ました・・・日没後に。
暗い画像に何か写っても大変なので、お参りだけ。

そうかぁ、天狗党も最後はお気の毒なことになったのですね。
とても興味深い記事をありがとうございました。
2015/10/08(木) 18:28 | URL | つねまる #pjmS0te2[ 編集]
オコジョさん
こんにちは。

あの内山峠を越えて来たなんて、本当に身近な事件だったんですね。
最初は我が家の近くの中山道を通ったのか!と思ったら、ちょっと遠くでした。
でも、野沢、中込、八幡、望月、馴染み深い所を進んで行ったんですね。
小諸藩も岩村田藩も御影陣屋も、全然ダメだったんですね。
それじゃあ領民も「こりゃダメだ」と実感したことでしょう。
自分の住んでいる地域がこんな事件の渦中にあったことがあるなんて、本当に興味深いことです。
望月は相変わらず中に入る時にオロオロして、分かりずらいんですよ。
何とか入れてお話も聴けて、ラッキーでした。
2015/09/24(木) 14:28 | URL | 万見仙千代 #YR4Ixzf2[ 編集]
トカ太さん
こんにちは。

幕末って、結構陰惨な話が多いんですよね。
水戸藩も、天狗党関係で藩内で殺し合い、だから明治政府に入る人材が残らなかったらしいんですよ。
確かに、幕末になると歴史の授業も駆け足ですよね。
別に本でも読まないと、なかなか分からないわ。
私の話しなんて、端折り過ぎて何の勉強にもならないけど、ものすごく長ーい話になるんですよ(汗)
でも、この佐久を天狗党が通ったなんて、一気に身近になりました。
2015/09/24(木) 14:23 | URL | 万見仙千代 #YR4Ixzf2[ 編集]
望月宿
高崎藩は水戸天狗党と下仁田で戦いますが、高崎藩は36人の犠牲者を出して敗走、いわゆる下仁田戦争ですね。
水戸天狗党は、強かったようです。内山峠を越えて、中山道に入り、望月を経過、大騒ぎだったようですね。幕府の天狗党追討令により、小諸藩は望月の先の茂田井に兵士400人余の本陣置きましたが、天狗党と遭遇しないようにして、領内を通行させます。そして、通過した後を追って、昼過ぎに領境の笠取峠まで、出陣、そこで、岩村田藩兵と御影陣屋兵と合流し、もう峠を下ってしまっている天狗党に届かないのを確認して、鉄砲を撃ち、鬨の声をあげたそうです。幕府へ追撃したという口実のためのデモンストレーションですね。
武士でも、命は惜しいですものね。でも、そうして、お咎めが無いところに、幕府の力の衰退を感じさせますね。
望月は宿場の雰囲気は薄いですが、懐かしい雰囲気がありますね。
2015/09/24(木) 09:03 | URL | オコジョ #H6hNXAII[ 編集]
No title
幕末の話ってなかなか伝わらないですよね。
教科書ではかなり端折ってるし、現代のマスコミは偏向報道しかしないし。
こういう現地レポートって歴史に残る業績の気がします。
どんどん続けて下さいね(^o^)
2015/09/23(水) 23:56 | URL | トカ太 #-[ 編集]
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プロフィール

万見仙千代

Author:万見仙千代
出身は北海道、長い首都圏生活を経て、ただいま信州在住です。

愛護団体出身で、多分12才になるすず、2011年3月11日に保健所からやって来て家族になった、年齢不詳のまりの2ワンコの散歩を中心に、1日が回ってます。(まりは10月25日永眠しました。家へきて、たった7か月と2週間の生活でした。)

何をするにも、まず散歩から!
散歩は健康の秘訣です。

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