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本・音楽・ペット・合唱・その他色々、書いていこうと思っています♪

三木秀綱の奥方

横山篤美著 「ふるさと 野麦の道」 という本を借りて読んでみた。
野麦の道とは、飛騨と信州を結ぶ野麦街道のことで、山本一美著 「ああ野麦峠」 の舞台になった野麦峠も含まれる。

その中に、非常に印象深い話があった。

時は秀吉が天下制覇を企てていた、天正13年8月。
飛騨を治めていた三木自綱は、秀吉の命をうけた金森長近に攻められ、籠っていた飛騨高堂の城から京へ落ちのびて行った。

自綱の嫡子 秀綱は松倉城を守っていたがここも落城、奥方を伴って落ちのびて行った。落ち行く先は高原郷今見村。途中で奥方と別れ、それぞれ別に落ちのび信州で落ちあうことにしたと語り継がれている。しかし秀綱は途中、村人の落ち武者狩りに遭い、無念にも命を落とす。

一方、信州 島島谷の奥で何人かの樵が働いていると、徳本峠の方からひとりの美しい女房がきらびやかな身なりでよろけながら出てきた。

驚いた樵達は、「これは魔性のものに違いない」 と美しい着物や持ち物を奪い、梨の木に縛り付けた。女房は助けてくれるよう頼んだが樵達は相手にせず、家に帰った。着物も持ち物もそのうち木の葉に変わるだろう。

ところが着物も持ち物も、翌日になっても何も変わらない。不思議に思って昨日の梨の木の所に行くと、女房はまだそのままの姿で縛られており、彼らを見てニタニタと笑ったかと思うとたちまち息絶えた。

樵達はぞっとし、一目散に家に逃げ帰って寝込んでしまった。やがて彼らは業病にとりつかれて死に、その病はその家に代々続いた。

恐ろしくなって、女房から奪い取った物をどうにか処分したいが捨てることもならず、捨てても祟りを逃れられるとも思えず、ひたすら他聞を憚りながらこっそり持ち続けたが、昭和になって秀綱神社を建立し、めいめい夜分密かにそこに置いてくることになった。

今でもその品物は残っており、この本には着物の写真も載っている。この女性が秀綱の奥方であったかどうかは分からないだろう。侍女ということもあり得る。どちらにしても、ある女性がここで非業の最期を遂げた事は間違いないのだろう。

秀綱神社の写真を見ると、とてもそんな品物を納められるような立派なものではないのだが、ここにこの品物はまだ残っているのだろうか。

なんとも哀れな話だ。戦国当時、こんな哀話はいくらでもあったのだろう。その女房の絶望を思うと心が重くなる。

秀綱神社 秀綱を祭ったというより、後ろの巨岩が御神体のように思われる。


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プロフィール

万見仙千代

Author:万見仙千代
出身は北海道、長い首都圏生活を経て、ただいま信州在住です。

愛護団体出身で、多分12才になるすず、2011年3月11日に保健所からやって来て家族になった、年齢不詳のまりの2ワンコの散歩を中心に、1日が回ってます。(まりは10月25日永眠しました。家へきて、たった7か月と2週間の生活でした。)

何をするにも、まず散歩から!
散歩は健康の秘訣です。

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